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トップ直撃 入社当初からの「原点」コミュニケーション重視、ナカノフドー建設・飯塚隆社長 創業100周年に向け創造し続ける企業へ

zakzak by夕刊フジ 2024年9月3日 6時30分

明治期に開業した前身の「中野組」は、国会議事堂や日本橋、旧帝国劇場などの施工に携わった。その後、昭和初期の創業から91年を迎えた中堅ゼネコンがナカノフドー建設だ。国内では住宅や学校、工場など多種多様な施工実績を持つほか、海外にも早くから進出し、工場や商業施設などを手掛けてきた。建設業も「2024年問題」などで変革を迫られるなか、飯塚隆社長(66)は100周年に向け、コミュニケーションを重視した組織づくりを進めている。

――創業から91年です

「中野喜三郎氏が開業した石材工事業の中野組は、日本橋、国会議事堂、旧帝国劇場などで実績があります。今の名誉会長の父親が総合建設業として独立したのが昭和8(1933)年でした。そして2004年に不動建設の建築部門と一緒になり、現在の社名になりました」

――どのような物件を手掛けていますか

「以前は共同住宅が多かったのですが、このところ多いのは工場や物流施設、ホテル、病院、官公庁関連ですね。設計・施工一貫の案件が増えていて、約4割に達しています。免震設計や省エネ技術にも力を入れています」

海外5カ国で事業、コンドミニアムの施工も

――海外事業にも積極的だそうですね

「海外に進出して来年で50年です。中堅ゼネコンとしては海外の実績は多く、半導体や物流関連の施設、ホテルなどを手掛けています。海外はシンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナムの5カ国で事業を行っており、国内と海外の事業は2対1ぐらいの比率です」

――海外で大型の集合住宅も

「国内で『カーサ』シリーズのマンションを約130棟建てた実績を元に、海外でもコンドミニアムを施工しています。シンガポールでは、日本語の『空』や『天空』にインスパイアされ、『sora(ソラ)』と名付けられたコンドミニアムの着工式が行われました」

――業界の課題は

「やはり人手不足をどう解消するかが一番大変ですね。いま大事にしているのは中途採用と新人の採用です。総務部の中に採用グループを作ったり、技術教育室を作るなどの取り組みにより、若年層の定着率は向上しています」

――時間外労働の上限規制への対応は

「現場でもフレックス制度を実施しています。勤務の間にジョギングやトレーニングでリフレッシュして戻ってくる人もいます。内勤者も時間差での出勤が可能です」

――昔ながらの建設会社のイメージとはかなり違っているようですね

「私が社長になって、まず出したのが『健康経営宣言』です。また、コミュニケーションを良くすることもずっと訴えています。具体的には挨拶を励行することで、それだけでなんとなく親しみやすくなりますよね」

今後は「育成期」「加速期」を経て「発展期」へ

――資材価格上昇への対策は

「企業努力だけでは解決できない問題なので、営業も含めてお客さまを説得して理解を求めることですね。良いものを安全に作るというのはそれなりの工期もお金も必要です。われわれはそれだけ価値のあるものを提供していくしかないですね」

――今後の事業展開は

「国内市場は横ばいが予想されるので、規模を拡大していくにはM&A(企業の合併・買収)しかないのですが、リスクもあります。一方、海外はまだ伸ばすことができると思います。具体的にはインドネシアやマレーシアが期待できます。日本の品質の良さや安全、機能面での付加価値は通用すると考えています」

――2033年の創業100年への思いは

「100周年に向けて長期ビジョンを作っています。技術力を軸とした総合力の強化により経営基盤の改革を進め、より安定的な収益基盤を確立し、事業を常に刷新することで顧客の満足と信頼を世界規模で創造し続ける企業を目指していくというものです。現在はフェーズ1の『育成期』で、来年から28年までがフェーズ2の『加速期』、そして31年までのフェーズ3の『発展期』と成長を続け、100周年を迎える計画です」

学園祭では建築展のリーダー

【子供時代】「子供時代は結構おっちょこちょいでした。絵が好きで、秘密基地を描いたり写生したりしていたのが、建築の道に進んだ理由かもしれません。中学校では剣道部、高校では新聞部から弁論部に移って、全国大会に出たこともありました」

【建築】大学では建築学科の1期生だった。「4年生になったとき、何か伝統を残そうということで、学園祭で自分がリーダーになって建築展を初めて実施しました。著名な建築家に自分たちで声をかけて講演をしていただいたのがいい思い出です」

【コミュニケーション】中野組(当時)に入社後、気を付けたのは「コミュニケーションですね。仕事をうまくやるには、職人さんとうまく話さなくちゃいけないし、先輩ともうまくやらなくちゃいけない。そこが原点かもしれないですね」と振り返る。

東京都渋谷区の新国立劇場の工事を手掛けたことが思い出だという。「約4年2カ月、現場に行っていました。そこで学んだ技術や経験はいまでも生かされています。図面を見るだけで分かることも多いですね」

【社長】社長として大事なことは「決断と責任ですね。いざというときにこうすると自分で言えること。大事なときには社長自身が出てきて真摯(しんし)に対応するということです」。

【家族】妻と長男夫婦、孫2人と二世帯住宅で暮らす。

【手放せない品】パーカーの万年筆。「社長に就任したときに購入して、いまは2本目です。礼状を書いたり、稟議(りんぎ)書などにサインするときなどに使っています」

昔は90切りも今は〝百獣の王〟

【趣味】大学時代には落語研究会で活躍し、周辺の大学と落語会を企画した。

「夫婦でよく見に行くのは春風亭小朝さんですね。亡くなった方では古今亭志ん朝さん、立川談志さんが好きだったんですよ」

ゴルフは「昔は90を切ったこともあったんですけど、今はライオン、〝百獣(110)の王〟がいいところです」。

座右の銘は《笑福来門》だ。

【これまでの仕事で最高の瞬間】「無事に建物の竣工(しゅんこう)を迎えたときと、お客さまから『特命受注』を獲得したときですね。『御社に決めた』と言っていただくのは営業冥利に尽きるうれしい言葉です」

【会社メモ】総合建設業として国内、海外で事業を展開する。本社・東京。1933年中野組創業、42年株式会社化。91年ナカノコーポレーションに社名変更、2004年、不動建設の建築事業を譲り受け、現社名に変更する。東証スタンダード市場上場。24年3月期の連結売上高1074億円、最終利益26億円。連結従業員数1331人(24年3月末時点)。

■飯塚隆(いいづか・たかし) 1958年6月生まれ、66歳。群馬県館林市出身。宇都宮大学工学部卒業後の1982年、中野組(現ナカノフドー建設)入社。2015年執行役員東京本店長、19年常務執行役員東京本店長、21年取締役兼常務執行役員営業本部長を経て23年代表取締役社長に就任する。

ペン・中田達也/カメラ・酒巻俊介/レイアウト・佐々木勇

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