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ソロデビュー40年 荻野目洋子の輝く理由 洋楽カバーで〝歌って踊れる荻野目ちゃん〟に 1985年発売「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」

zakzak by夕刊フジ 2024年8月6日 6時30分

夏になると各地の盆踊り大会で流れるヒット曲がある。1985年11月に発売された荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」だ。90年代に東海地区で定番化し、その後は全国に波及。本人が生歌で大会を盛り上げたこともある。

「日本の伝統行事で自分の歌が親しまれている。歌手冥利に尽きますね」

そう語る荻野目は同曲を人生のターニングポイントとなった作品と位置付ける。リリース時の彼女はデビュー2年目の16歳。すでにシングル6作を発表していたが、いずれも大ヒットには至らなかった。

「目標にしていたベストテンになかなか届かなくて、自分には何かが足りないのだと考えていました。そんなときに出合ったのが『ダンシング・ヒーロー』です」

同曲は英国の歌手アンジー・ゴールドが歌う「素敵なハイエナジー・ボーイ」がオリジナル。日本人好みのメロディーラインに着目したレコード会社のディレクターが資料用にストックしていたところ、荻野目の事務所の社長がほれ込み、日本語でカバーすることになった。

「自分にとって初めての洋楽カバーで、それまでになかったタイプの楽曲。最初は歌いこなせるだろうかと不安もありました。でももともと洋楽が好きだったし、ビート感のあるカッコいい曲でしたから『このチャンスを生かしたい』と。レコーディングで何度もダメ出しされながら、気持ちを奮い立たせて歌いました」

斬新なタイトルは社長のアイデアだったが、結果は大ヒット。人気番組「ザ・ベストテン」(TBS系)では2位まで上昇してブレークを果たす。荻野目はその後も「Dance Beatは夜明けまで」「六本木純情派」などのヒットを重ね、86年の紅白歌合戦に初出場。ダンスチューンで構成したアルバム「NON―STOPPER」が87年の年間ランキング1位に輝く快進撃を見せ、歌って踊れるシンガーの座を確立する。

「ダンスは今もお世話になっている三浦亨先生(コレオグラファー)の特訓を受けました。レッスンに行くと周りは上手な人ばかりで、恥ずかしい思いをたくさんしましたけど、やめてしまったらそこまで。その状況を乗り越える強さが身についたと思います」 (濱口英樹)

■荻野目洋子(おぎのめ・ようこ) 1968年12月10日生まれ。84年「未来航海」でデビュー。85年「ダンシング・ヒーロー」でブレークし「六本木純情派」などのヒットを連発。2001年に結婚、3児の母となる。4月3日に40周年記念曲「Let’S Shake」=写真=を配信リリース。現在全国ツアー中で8月31日は長野市芸術館メインホールで開催する。

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