今月10日に86歳で死去した医療法人「徳洲会」の創設者で元衆院議員の徳田虎雄(とくだ・とらお)氏を惜しむ声がやまない。「命だけは平等だ」との理念を掲げて日本最大級の医療法人を築き上げるかたわら、「政治の力で医療を変える」と政界でも存在感を放った。政界の重鎮、亀井静香元建設相(87)が夕刊フジの取材に応じ、盟友・徳田氏への思いを吐露し、混迷する日本政治にげきを飛ばした。 (海野慎介)
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「虎雄が穏やかな目をしていた。まさに『南海の大虎』で、なかなかの男だった」「(難病の筋萎縮性側索硬化症=ALS)で目でしか会話できないのは辛かったと思う。(闘病をしながら)20年間も徳洲会を動かしていたのは精神力だった」
亀井氏は、徳田氏に最後のお別れをした16日午後、こう語った。
徳田氏は兵庫県高砂市で生まれ、鹿児島県・徳之島で育った。病気の弟が医師に診てもらえずに亡くなった経験から医師を志し、1973年に最初の病院を大阪府松原市に開院した。75年に徳洲会を設立し、医療過疎地を中心に、グループの病院を各地に開設した。
政治家としては83年、衆院選の奄美群島区に初めて出馬した。90年衆院選で初当選し、94年には政党「自由連合」を結成して、95年に村山内閣で沖縄開発政務次官に就いた。衆院議員を計4期務めたが、ALSで次第に体の自由が利かなくなり、2005年に政界から引退した。
亀井氏は1990年代、自民党衆院議員でありながら、無所属議員だった徳田氏を支えた。石原慎太郎氏を党首に据える新党構想をともに進めるなど盟友中の盟友だった。
亀の背中に虎が乗る
「虎雄は『国民のための医療提供をしたい』と医師会と戦った。いつでもどこでも最高の医療を提供するのが理想だった。病院が金もうけ優先になっていることに反発した。私はその考えに共鳴し、まさに同志だった」
「かつて、俺たちは『亀の背中に虎が乗っている感じ』だった」「彼と何でも気が合った。いちいち意見のすり合わせをする必要がない。男同士の友情というのはそんなもんだ」
身を捨て国家のため
新党を語り合った石原氏も2022年に89歳で亡くなった。自民党派閥の裏金事件以降、永田町は混迷をきわめている。
亀井氏は、2人の盟友をしのびながら、現在の政界を一喝した。
「自民党の今の体たらくは何なのか。とても『政治』とはいえない。国家のために何をやっている。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領や、中国の習近平国家主席などが世界をつかみ取りしているのに、ポカーンとしている。虎雄には反骨心があった。石原も小説を書くように自由に政治に取り組んだ。『身を捨てて国家のために働く』ことを考えなければならない。自民党は『骨のある女性』を総裁に就けるか、下野して再びはい上がるしかない」