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ぴいぷる ジャズピアニスト・山下洋輔 衰えぬ情熱、ピアノの楽しみ 田原総一朗氏の思惑外れた?69年に伝説の早大乱入ライブで「音楽の力」 

zakzak by夕刊フジ 2025年1月17日 11時0分

田原氏の思惑外れた? 伝説の早大乱入ライブ

夕刊フジが生まれた1969年、世間は喧騒にあふれていた。学生運動は激化の一途をたどり、若者は誰もが新しい自由を追い求め、いわばカオスのなかにいた。

うねる時代のなかで芸術も貪欲だった。山下洋輔トリオでフリージャズを演奏し始めたのは69年からだ。プレイヤーとなった当初は普通のジャズをやっていたが、68年に大病を患ったことで心境に変化が生まれた。

「長期間の療養を終えて復帰するとき、リハーサルをしていたら何かが違うなと感じてしまって…。僕のほうから〝何でもいいから、せ~ので滅茶苦茶にやってみよう〟と提案してみたんです。そうしたらドラムの森山威男も、サックスの中村誠一も喜んでしまって、うまくできちゃった」

山下洋輔トリオがその名を知らしめたのは、69年7月12日にゲリラ的に敢行された早稲田大学乱入ライブ。当時、テレビ東京のディレクターだった田原総一朗氏が企画したものだ(偶然にも今回の取材当日、産経新聞社の玄関で田原氏と遭遇したのも縁だろう)。田原氏の企画は学生同士のゲバルト(暴力)が激化していた早稲田に新進気鋭のジャズピアニスト山下を乗り込ませ、大隈講堂から4号館に運び入れたピアノを命がけで弾かせようとするものだった。

「田原さんの思惑は、バリケードのなかに僕らを放り込めば学生が興奮して暴れ出し、ピアノに襲いかかって滅茶苦茶になるはずで、そんな場面を撮ることだった。僕に〝ピアノを弾きながら死にたい〟と言わせた田原さんが『それなら俺が殺してやる』と。僕もやるまでは怖かったですよ。ところが普通のジャズだったらそうなったかもしれないけど、フリージャズを弾き始めたら、敵対する学生たちも大学側も騒がず、みんな僕らの演奏にじっと聴き入ってしまった。暴動なんてまったく起きない。音楽の力を感じましたね」

音大で学んで気づいたクラシックとの共通点

巷では、一世を風靡したグループサウンズが終焉に向かうころ。レコード会社などには束縛されない、頭脳警察など自由奔放なロックも生まれ出した。音楽そのものが解放されていく時代でもあった。

「60年代後半からすでに、滅茶苦茶なことをやっていい風潮がありました。新宿ピットインで演奏していたら、わけのわからん男たちがなだれ込んできて、会場を占拠して深夜に公演をし始めた(67年)。それが唐十郎さんの状況劇場。逆に僕が唐さんの紅テントにピアノを持ち込んで演奏したこともありました。だからジャンルの隔たりなんかも気にはならない。僕らは『あいつらはジャズじゃない』って言われていて、マネージャーがロックとして売り込んだりもしたんです。頭脳警察なんて名前も頭の片隅にずっとあるし、PANTAさんと座談会もやりましたね。ピンク・フロイドが来日した『箱根アフロディーテ』(71年8月)にも出ています」

半世紀を過ぎても変わらない情熱で弾き続けているフリージャズ。いや〝フリー〟はそれ以上、生まれたときからピアノはそばにあった。

「母親がピアノが大好きで、よく弾いていました。僕も立ち上がれるようになったら、ピアノのところにいってヒジ打ちをやっていた。というか小さいからヒジ打ちをやるしかない。親は怒らずに笑っていたそうです」

ピアノを教わらなくても、知らず知らずのうちに芽生えてくる才能。

「知っているメロディやフレーズはすぐに弾けたし、勝手に伴奏もできて、作曲家みたいなことをするのが好きでした。それがジャズにつながりましたね。バイオリンはレッスンを受けましたがピアノは嫌だといいました。ピアノは教わらなくても音が出せる。だからのめり込んでいったんです。でもクラシックがコンプレックスにならないように、ジャズを始めたのちに国立音大の作曲科に入り直しました」

学ぶうちに面白い共通点に気づいた。

「ジャズのインプロに似ていたんです。昔のクラシックの作曲家も即興でピアノが弾けたんじゃないか。楽譜になる前は即興だったんじゃないかって。楽譜に残されたものが定番になっていくんですが、僕がイメージするのはその前。楽譜になる前のものなんです」

4月5日(土)には恒例の『山下洋輔ソロピアノ・コンサート』が、東京晴海の第一生命ホールで行われる。ファンにとっては1年に1回必ず訪れる至福のひとときだ。

「楽しんで演奏をするのが一番です。皆さんも楽しんでいただけたら。僕は今でもピアノの前に座るとうれしい。年齢を重ねて人前で弾く機会は少なくなったけど、自宅にいてふとピアノが目に入ったときにも好きな音を弾くんです。だってピアノはそこに座るだけで弾けるんですから。ピアノの蓋を開けるだけでいいし、開いているときだったある」

フリーに鍵盤との触れ合いを楽しみながら、巨匠は弾き続ける。

(ペン・秋谷哲 カメラ・鴨志田拓海)

『山下洋輔ソロピアノ・コンサート』4月5日(土)東京晴海の第一生命ホールで開催

■山下洋輔(やました・ようすけ) 1942年2月26日生まれ、82歳。東京都出身。1969年に山下洋輔トリオを結成し、フリーフォームな演奏でジャズ界に衝撃を与える。ジャズ以外も、和太鼓やシンフォニー・オーケストラとの共演など活動の幅を広げ、2016年にウィーン楽友協会ホールで佐渡裕指揮のトーンキュンストラー管弦楽団と共演。19年に山下洋輔トリオ50周年記念「爆裂半世紀!」開催。20年にソロピアノ・アルバム『クワイエット・メモリーズ』リリース。99年芸術選奨文部大臣賞、03年紫綬褒章、12年旭日小綬章受章。国立音楽大学招聘教授。多数の著書を持つエッセイストでもある。15、18年に夕刊フジ主催ライブに出演。今年7月に太鼓の林英哲とのコラボ40周年ライブを予定。

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