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ニュース裏表 平井文夫 「『妖怪のひ孫』と呼ばれて構わない」岸信千世氏 伯父に安倍元首相、政治一族の跡取りという人生 こんな「辛い仕事」なぜ選んだのか

zakzak by夕刊フジ 2024年8月1日 11時0分

月刊『正論』(産経新聞社発行)の連載「平井文夫の聞かねばならぬ」で、政治家にインタビューをしている。そこで思うのは、なぜこのように優秀な人たちが、「議員の数を減らせ、歳費を減らせ」などと、その存在を否定され、褒められることもほとんどなく、批判ばかりされる「辛い仕事」を続けているのか、ということだ。

特に、地元を回って、ひたすら握手して頭を下げ続けることへのモチベーションは何なのだろうか。私が政治家の子供だったら跡は継がなかったと思う。

安倍晋三元首相の3回忌法要が行われた翌々日、甥(おい)で自民党衆院議員の岸信千世(きし・のぶちよ)氏に会った。彼は岸信夫元防衛相が父、安倍氏が伯父、安倍晋太郎元外相が祖父、佐藤栄作元首相が曽祖叔父、そして岸信介元首相が曽祖父という政治一族の跡取り息子である。

大学卒業後6年間はフジテレビの記者をしており、私の後輩だった。なぜ、フジテレビという「いい会社」を辞めて政治家という「辛い仕事」を選んだのか。

最初に「地元はちゃんと回ってますか」と聞くと、信千世氏は「回っている」という。暑いので半袖シャツにスニーカーで一軒一軒歩いていると、営業マンと間違われて「内装工事は間に合ってます」と断られることもしばしばだとか。ただ、意外に話をよく聞いてもらえるらしい。

それを聞いて、安倍元首相が第1次内閣で病気のため退陣した1年後に聞いた話を思い出した。

安倍氏は「もう政治家も辞めようと思ったので、最後だと思って山口の選挙区の後援会の皆さんの家を一軒一軒すべて訪ねました」といい、続けた。

「驚いたのは、皆さんが『若いんだから、もっと頑張れ』と言ってくれたんです。だから、僕は『政治家を続けよう』と思いました」

あの時に地元の支持者が背中を押したおかげで、第2次安倍内閣はできたのだ。それより、後援会名簿を片手に、すべての家を回ったという話に驚いた。

信千世氏によると、安倍氏は発言がセンセーショナルで目立つ政治家だったが、一方で「有権者との一対一の対話」を大事にする泥臭い政治家でもあった。自分も参考にして一軒一軒、回っているという。

世襲とはいえ、こんな辛い仕事をなぜ選んだのか。岸家の祖父は政治家ではなく、父の信夫氏も信千世氏が小学生の頃まではサラリーマンだった。信夫氏が政治家になった後は母方の祖母に育てられたので、信千世氏は「政治家教育」は受けていない。

政治家になったのは、父や伯父を見ているうちに、自分も同じように「国のかたち」をつくることに携わりたいと「気づいたら思うようになっていた」らしい。

曽祖父の岸信介氏は戦後、A級戦犯として逮捕されたが、その後、釈放されて首相にまで上り詰めて「昭和の妖怪」と呼ばれた。私が「妖怪のひ孫と呼ばれてもいいのか」と聞くと、信千世氏は「構わない」と言う。

このほか、『正論』9月号には、信千世氏がフジテレビの宮内庁担当記者時代、「お前なら次の元号を抜ける(特ダネが取れる)」という社内の「無言の圧力」を受け、当時首相だった安倍氏のところに取材?に行った話なども載っています。ぜひ、お読みください。 (フジテレビ特別解説委員 平井文夫)

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