町医者を引退し、僕は医師としてこれまで担っていた様々な役職を降りました。余生は好きなことに時間を費やそうと、遅咲きの歌手デビュー。秋のライブを終えたところです。今回のライブテーマは「俺を止めるな!いろんな愛のカタチ」。ええ年して愛を語るな? いえいえ、高齢者になってから分かる愛がたくさんあります。
精神科医のジークムント・フロイトは晩年、「人生において大事なことは何か?」と尋ねられたとき、「愛することと働くこと」と答えたという有名なエピソードがあります。働くとは何も賃金労働だけを言っているわけではありません。愛する人のために働ける、働くことで愛を分かち合える…「愛」と「働」はじつは不可分なのだ。この人の人生を振り返り、よりそんな想いを強くしました。
漫画界のレジェンド・楳図かずおさんが10月28日に東京都内のホスピスで死去されました。享年88。死因は、胃がんとの発表です。
楳図さんはこの7月、自宅で倒れて緊急搬送。そこで末期の胃がんと診断されました。9月からはホスピスに入院し、「痛いのは嫌い」と注射も点滴も受けず、内服薬のみ受け入れていたといいます。亡くなった当日も、お気に入りのドリンク剤とおにぎりを所望。ドリンク剤を口に含み「おいしい」と言ったあと、まもなく天に召されたそうです。
「なぜ胃がんの早期発見ができなかったのか?」という報道も拝見しました。食欲の減退など、体調の異変は楳図さんも感じていたはずです。だけど検査を受けるか否かは、本人が決めること。ギリギリまで医療とは無縁で自宅で過ごせていたのですから、早期発見されなくて本当に良かったと私は思います(今年1月に亡くなった桐島聡容疑者もこんな最期でしたね)。
楳図さんは男性の平均寿命を越え、まもなく90歳に手が届く年齢でした。寿命を生ききった「天寿がん」と呼ぶにふさわしい終わり方だと考えます。
楳図さんは1980年代、『わたしは真悟』という作品を発表しました。ある日、家にやってきたロボットが自我を持ち始め現実世界を支配してゆくというSF超大作です。令和の今を予見していたようなこの作品、「真悟」と名付けられたロボットに主人公の少年はどんどん言葉を覚えさせます。しかし「真悟」は言葉の一つ一つをエネルギーに変換し、愛する人を守っていく。そして最後に残った文字は、アとイでした。つまり愛≒AI?
楳図作品はいつも、愛のメッセージに溢(あふ)れていました。「言葉のなかにすべてがある」と語ってもいました。人を愛することの大切さを発信し続けた偉大な漫画家は、これからも多くの読者から愛され続けることでしょう。
長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。公益財団法人日本尊厳死協会前副理事長。映画『痛くない死に方』『けったいな町医者』をはじめ、出版やインターネット配信などさまざまなメディアで長年の町医者経験を活かした医療情報を発信する傍ら、ときどき音楽ライブも行っている。