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ぴいぷる 歌手・原田悠里、やっぱり元気な歌がイイ 音楽教師だった私にとって思い出深い「ノクターン」 美空ひばりさんのヒット曲が原点

zakzak by夕刊フジ 2024年12月26日 11時0分

「新曲を出すからには、何か一歩でも前に進まないとやる意味がないと思っていたんです」

長年所属してきた北島音楽事務所から独立して1年半。がむしゃらに態勢を整える時期を乗り越えて、新たな一歩を踏み出した。それが新シングル「春待酒」であり、カップリング曲の「ノクターン~黎明~」なのだ。

「作曲家の水森英夫先生やスタッフと話し合って、私には威勢のいい歌が絶対に合うから明るく元気な歌でいこうとなって生まれたのが『春待酒』。私も失恋してホロホロ泣くような歌よりは応援歌のほうがやっぱり自分には合うと思っているので、硬派な歌がうれしいですね。気が付いたら着物なのに足を広げて歌っていました(笑)。元気になるでしょ」

なので、レコーディングでも結構力が入っていたようだ。

「今回は本当に力強さを強調して歌ったんです。ド演歌をやろうと。で、私はちょっと乗っちゃって、コブシをころころ回して、しゃくりまくったんですよね。これには水森先生もびっくりしたらしくて…。この前、先生がラジオ番組で一般の方に歌唱指導をされたとき、〝悠里さんはここでしゃくってますけどっておっしゃっていて…。先生は〝悠里さんはそのままでいいんだよ〟と言ってくださるんですが、お客さまには〝無理にしゃくらなくていいですよ〟って。私、やっちゃいましたね(笑)」

一方、「ノクターン」は、タイトルを聴いて、ピンとくる方もいるだろうけれど、作曲はショパンだ。え、ショパン?!。

「そう、ショパン先生です。『ノクターン』は音楽教師だった私にとって思い出深い曲なんです。この曲で私の半生を詞にして歌いたいって、ずっと思っていたんです。で、今が新しいことをするチャンスだと」

詞を手がけたのは、鳥羽一郎の長男で歌手の木村竜蔵(36)。まずは彼に、自分が40年もの間、歌い続けてきた思いをぶつけた。「36歳という若さではまだ理解できなかったかも…」と思っていたが、1カ月後に仕上がってきた詞をみてびっくりした。

「私が思い及ばなかったことまで書いてくれていて…。〝人生とは湖面に吹く風〟〝答えなどありはしない〟ってもう哲学でしょう。ショパンの曲にふさわしい歌詞にしてくれたんです」

だからこそ、歌い方もド演歌に徹した「春待酒」とはまったく違う。1枚のCDで2種類の歌い方が聴けるなんて、これは必聴だ。

「私も大学は音楽科でクラシックをやってきた人間なので、これをどう歌うかは迷いましたね。手本がないので、クラシック調でいくのか、シャンソンみたいに言葉を優先するのか。どこまでショパンに忠実にやるのか、どこまで崩すのか。でも、CDとして残す以上、原型にできるだけ忠実な形で止めておくのが一番いいとなりました」

ところで、「ノクターン」が思い出の曲というのはなぜだろう。

「横浜の小学校に赴任したとき、ちょうど学校にグランドピアノが寄贈されたんです。その寄贈式で何か弾いてくださいって言われまして。私、ほんとピアノはへたくそで、大学でもやっとこさ単位をもらったぐらいなので。まいったなあと思いましたが断れないですからね。私、音楽の先生なんで(笑)」

で、弾いたのが「ノクターン」だったそう。「好きだから」が選んだ理由だったが、「なぜかちゃんと弾けたんですよね。若かりし日の思いです」。だから、今でも自分の中で原点の1つになっているのだ。

彼女にとって〝歌〟とは何か。歌が好きなら、音楽教師のままで十分だったかもしれない。しかし、そうじゃない。彼女は歌手の道を選んだ。そこに彼女の答えがある。

「自分の本音をさらけ出せるのは、学校の先生でもクラシック歌手でもなく、流行歌の歌い手なんです。やっぱり、幼いころに聴いた美空ひばりさんのヒット曲が原点なんです」

■原田悠里(はらだ・ゆり) 歌手。1954年12月23日生まれ、70歳。熊本県出身。鹿児島大教育学部音楽科卒業後、小学校の音楽教師を経て、82年、「俺に咲いた花」(キング)でデビュー。85年の「木曽路の女」がミリオンセラーとなり、99年の「津軽の花」で第41回日本レコード大賞の優秀作品賞を受賞した。同年から2001年まで3年連続でNHK紅白歌合戦に出場。05年の「沙の川」は第47回日本レコード大賞で金賞に輝いた。23年4月、北島音楽事務所から独立。シングル「春待酒」(カップリング曲「ノクターン~黎明」)と新アルバム「遥かなる路(みち)」(ともにキング)を発売したばかり。

ペン・福田哲士 カメラ・相川直輝

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