今年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」の主人公「蔦重」というのは、蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)の短縮形の呼び名、愛称である。
じゃあ、その蔦屋重三郎って、誰? ということになる。
そう彼は、浮世絵師の東洲斎写楽や、喜多川歌麿、安藤広重(歌川広重)、葛飾北斎、浮世絵師で戯作者の山東京伝、文人で狂歌師の太田南畝(なんぽ)、狂歌師で国学者、戯作者の石川雅望(まさもち=宿屋飯盛)、読本作者の曲亭馬琴(滝沢馬琴)、戯作者で絵師の十返舎一九(じっぺんしゃ・いっく)など、現在の日本人でも知らない人はいない第一人者を無名の時に発掘し、育て、売り、名声をもたらした人物である。
それは、本人だけではなく、多くの日本人の心に、いわゆる「ジャポニスム」として世界の芸術家たちにも多大な影響をもたらした。時系列に関係なく、思い出すままに記せば、フランスの画家モネやマネ、ドガ、ロートレック、ユトリロ、オランダの画家、ゴッホ、帝政オーストリアの画家、クリムトなどだ。
そう蔦屋重三郎という人は、江戸時代の版元、出版社の大社長、今でいう「大メディア王」という位置づけである。
蔦重は1750(寛延3)年、吉原に生まれた(この『吉原』については明日詳説)。蔦重の菩提寺は、東京・東浅草にある正法寺。現在の外観は高級マンション風で、誰もお寺とは思わないだろう。
佐野詮修住職によれば、上の階は居住スペースではなく、全部お墓だそう。エントランスを入って正面を左に行くと庭があり、そこに蔦重一族の墓碑が建っている。碑文によると、蔦重の父は丸山重助で尾張出身、母は津与で江戸生まれ。分かっているのはそれだけで、職業や享年は不明である。重助は何らかのかたちで吉原で仕事をしていたらしい。
蔦重8歳の時、両親は離婚した。母が家を出ていってしまったため、蔦重は、「蔦屋」という屋号で吉原で引手茶屋(=客を遊郭に案内する茶屋)を営んでいた喜多川家に養子入りする。そこから蔦屋重三郎という呼称がついた。
それからというもの、蔦重は「吉原の通人」にもまれて、日々、吉原文化と商いの勘所を磨いていくことになる。彼の最初の仕事は遊郭の案内係。やがて、養家の軒先を借りて貸本業と吉原のガイドブックを販売する。徐々に業績を伸ばすとともに、彼の文化の眼は鋭くなっていくのである。
■松平定知(まつだいら・さだとも) 1944年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、69年にNHK入局。看板キャスターとして、朝と夜の「7時のテレビニュース」「その時歴史が動いた」などを担当。理事待遇アナウンサー。2007年に退職。現在、京都芸術大学教授などを務める。著書に『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書)、『一城一話55の物語』(講談社ビーシー)など多数。現在、アマゾンのオーディオブック「Audible(オーディブル)」で、北方謙三著「水滸伝シリーズ」(集英社刊)などの朗読作品を配信中。