昭和演劇史に残る演出家の有名な指導がある。
舞台演劇において「台詞を忘れる」のは論外の禁忌である。だが多くの役者が知らないのは、声が演劇空間を作り続けるということ。「台詞を間違える」より、「台詞が聞こえない」ことのほうがはるかに罪が重いと。
役者は自分の情熱ばかりにこだわってしまうので見落としてしまうが、これはお客さまになれば簡単にわかることだ。
「間違った台詞」を聞いても、お客さまを包んでいる演劇空間はそのまま進み続ける。だが「台詞が聞こえない」ことが起きた瞬間に、役者の「声量不足」という現実性が突き刺さり、お客さまを包んでいる演劇空間の価値が下がる。
シーンが映像編集により強制的に変わる映画やドラマとは違い、舞台演劇はその時間すべてが連続している。そんな小さなミスが、出演しているすべての役者の足元を揺らがせる、連帯責任となりえる。何が何でも、そこに生まれた演劇空間を維持し続けろということなのだろう。
しかし、昨今の舞台演劇は、マイクや音響機器の進化により、舞台演劇の基礎の基礎である「発声」や「声量」を必要としないケースも増え始めている。映像演劇しか経験のない役者でも、ある程度の訓練で、本格的な舞台演劇に対応可能となる。古典的な演劇のあり方からすると、疑問を感じるのは当然。しかし、商業面からすると、出演者の「幅」を広げられるというメリットがある。哲学は大事だが、お金はもっと大事だと。
「寿司屋で10年修業するやつはバカ問題」が最近話題になった。伝統性と技術進歩のぶつかり合い。私も父が主宰していた劇団から分派した劇団である「新宿梁山泊」でテント芝居を始めて10年が過ぎようとしている。当然のように、この劇団でのテント芝居は、1970年代のアングラ演劇そのままであり、技術の進化などはどこ吹く風、役者の全身全霊がすべてである。
つい先日、私が主演した赤坂サカスでのテント公演「ジャガーの眼」を、某人気女優さんが観てくれた。観劇後、彼女いわく、台詞が難しくてすべての内容は分からなかったが、わけの分からない「巨大熱量」に圧倒され続けた2時間であったと。彼女の目の奥に感じたのは、お世辞ではない何かであった。技術や進化に頼らない、バカげた情熱というのは、お客さまの心に必ず届く。
いよいよ連日忘年会シーズン。血圧とγGTP数値を気にしながら、今年お世話になった方々に感謝しながら酒を飲み交わす日々。今年は親父が亡くなったこともあり、可能な限り、演劇の舞台に立ってみようと。そして多くの方々に助けられながら、人生初の、年間10作品の舞台に立つことができた。演劇的にはマルチなジャンルになるが、すべて珠玉の作品であったと信じている。また、新宿梁山泊『ジャガーの眼』では、なんと紀伊国屋演劇賞において、団体賞もいただき、最高のファンファーレとなった。
役者稼業もいよいよ50代後半真っ盛り、あらためて思うのは、お客さま、仲間、恩人、先輩後輩、芝居で関わった方々を裏切らないこと。こういう鉄則、若いときにはまったくわからなかった。
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画「首都高速トライアル」で俳優デビュー。90年には「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。NHK・Eテレ「ワルイコあつまれ」セミレギュラー。現在公開中の映画「ファストブレイク」に出演。2025年1月22~26日には、東京・池袋「シアターグリーン BIG TREE THEATER」で上演の劇団アルファーvol.46「爺さんの空」に出演。