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「放っておいてもいいかなぁ」と考えていた…映画監督のグ・スーヨンさん腎臓がん手術を振り返る

日刊ゲンダイ ヘルスケア 2024年6月3日 9時26分

【独白 愉快な“病人”たち】

 グ・スーヨンさん(映画監督/63歳)
  =腎臓がん

  ◇  ◇  ◇

 2年前の年末、朝4時まで新宿で飲んで、酩酊状態でタクシーの後部座席に座っていたら、突然、左側からドンッ! と車が突っ込んできて気を失いました。この事故がきっかけで「腎臓がん」が発覚したのです。

 気づくと首にコルセットをされていて、「絶対に動いちゃダメ」と言われました。でも事故現場を見たいじゃないですか。なんとかして見ようとしたんですけど、また気を失ってしまいました。

 あとから聞くと、タクシーは車に突っ込まれて、3回転ほどスピンして街路樹に突っ込んでいたそうです。後部座席がガラスまみれで、自分は肋骨を3本折り救急搬送されました。肋骨2本までは経験あったんですが、さすがに3本はそれを上回る痛さ。ピーク時には痛みで微動だにできませんでした。

 早朝に救急搬送されて、全身をCTとエックス線で細かく検査されました。ただ、緊急性のあるダメージはなく、朝8時ぐらいに別の病院に運ばれるのを待つことに。待っている間に奥さんへ電話できたものの、次の病院がなかなか決まらず、救急救命室でしばらく放置されました。肋骨の骨折はだいたい安静にして回復を待つしかないですし、ほかに損傷はありません。だんだん家に帰りたくなってきたので医師にそう言うと、「大丈夫そうですし、じゃ帰りますか?」と賛同してくれて、昼には帰宅しました。

 痛みは鎮痛剤で抑えて自宅で安静にしていると、数日後、病院の放射線科の医師から電話がありました。「事故とはまったく関係ありませんが、十二指腸に7ミリの動脈瘤、腎臓に1.5ミリの腫瘍らしきものが確認できたので、病院で検査を受けてください」というのです。

 救急搬送された病院は少し遠かったので、5~6年前に「肺気胸」で入院したことのある近場の病院に紹介状を書いてもらい、そこへ行きました。ところが設備的な問題でできない検査があったため、再び救急病院のお世話になることに……。

 結局、十二指腸の動脈瘤は1センチに満たないので経過観察になり、腎臓の腫瘍は画像診断の段階で「おそらく悪性でしょう」と告げられました。でも、特に何の動揺も感動もありませんでした。「風邪です」と言われた時と同じで、「ああ、がんなんだ」と思っただけです。

最新の技術に興味があった

 小学生の頃から「死」について考えてきたんです。いじめられっ子でね。その頃からすでに「偶然生まれ、いずれ必ず死ぬ」という死生観を持っていましたから、がん宣告も自然に受け入れられたのだと思います。

 そんな死生観があったことと、かなり早期で見つかったことや腎臓がんは進行が遅いと聞いたので、自分としては「もう60歳すぎだから放っておいてもいいかなぁ」と考えていました。でも医師は、「こんなに早期で見つかったのだから手術がおすすめです。うちは『ダヴィンチ』(手術支援ロボット)がありますし、低侵襲で体への負担が少ないですよ」と手術一択の様子でした。

 そもそも非日常が好きで、手術も大好き。ダヴィンチという最新の技術にも興味があったので、数日後に「手術お願いします」と返事をしました。初めは3月の予定でしたが、肋骨の痛みが残っていたので5月になりました。

 手術当日は、まず手術室に入る前のサブ室がだだっ広いことに感動しました。複雑な設備がズラッとあって、患者1人につき麻酔科の医師や看護師ら計10人ぐらいで担当するようでした。しかも、執刀医は別の部屋でモニター越しに機械を操作するんですよね。それが1フロアに何ブースかあって、とにかく広い。見たことのない近未来の異空間にワクワクドキドキでした。後に「撮影で使えないかなぁ」と先生に聞いたら、もちろんダメでした(笑)。

 手術は3時間の予定が4時間かかりました。その理由が内臓脂肪の多さ。見た目は普通なので想定外だったらしく、医師いわく「内臓に脂肪が多くて、がんにたどり着くまでに一番時間がかかりました」ですって。

 がんは豆みたいに包まれていたので散らばらず、がんの中では転移しにくいタイプだったようです。リンパ節もセーフで、見た目にも転移はないと判断されて、放射線も抗がん剤もなし。入院は1週間ぐらいでした。今は3カ月に1回通院しています。

 手術前の1カ月と、手術後の1カ月は禁酒禁煙でした。

 まったく苦しくなかったので、そのまま続くかなと思いましたが、やはり映画の編集作業をしているとたばこに手が伸びてしまって、喫煙はすぐに復活。ただ、お酒はだいぶ弱くなって、週3日は飲み歩いていたのが、今は月に2~3回に減りました。肋骨3本折ってから歩かなかったせいで足腰の筋肉が落ちたので、散歩で強化しているところです。

 じつは事故に遭った日、朝方4時まで一緒に飲んで構想を話していたのが、6月29日から東京で公開になる映画「幽霊はわがままな夢を見る」の関係者でした。

 事故は運が悪かったですけど、腎臓がんは早期発見できました。画像から小さな腫瘍を発見してくれた放射線科の医師が本当に優秀で助かりました。

(聞き手=松永詠美子)

▽1961年、山口県生まれ。在日韓国人2世。26歳でCMディレクターとしてデビューし、94年に「GOO TV COMPANY」を設立。数々のヒットCMを作り出す。2001年に小説「ハードロマンチッカー」を発表。03年には「偶然にも最悪な少年」で映画監督デビューした。6月29日から最新作「幽霊はわがままな夢を見る」が上映予定。

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