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ここはどこ?私は誰?の状態でした…歌手の松原愛さんもやもや病を振り返る

日刊ゲンダイ ヘルスケア 2024年6月24日 9時26分

【独白 愉快な“病人”たち】

 松原愛さん(歌手/68歳)
  =もやもや病

  ◇  ◇  ◇

 私が「もやもや病」と診断されたのはおよそ20年前です。今でも難病指定されていますけれど、当時は不治の病といわれて、死んでいてもおかしくないくらいでした。

 この病気は内頚動脈という太い脳血管の終末部が細くなって、脳の血液不足が起こりやすくなり、その不足を補うために細い脳血管が次々に生まれてもやもやとした塊になる病気です。私はもやもや病から脳梗塞になり、左半身不随になったのです。

 前兆はゆるやかに忍び寄ってきました。当時イベントの司会などをよくやっていて、その最中に突然言葉が出なくなることがあったり、車の運転時に違和感があったりして、「なんかおかしい」と思い始めたのが最初です。そのうちに徐々に左半身がいうことをきかなくなっていき、お酒を飲むと左脚の力がガクンと抜けたりするようになりました。それでも、そんな大きな病気の前触れとは思わずに何カ月も経ってしまいました。

 病院を受診したのは、首が痛くて仕方がなかったからです。整形外科で「ヘルニア」と診断されて、精密検査のために入院になりました。でも頚椎に異常はなく、血圧も正常、動脈硬化もない。悪いところが見当たらないので、そのまま退院になりそうでした。しかし、その寸前に来てくださった教授が、私をひと目見るなり「これは左半身不随だよ。おまえらそれでも医者か! すぐCTスキャンしろ!」と、スタッフを怒鳴りつけたのです。

 その一声で右脳に大きな脳梗塞が発見され、神経内科に移されました。ところが、1カ月検査をしても脳梗塞の原因が見つかりません。足の付け根から脳までカテーテルを入れる、とても気持ちの悪い検査を何度もしたのですが、結果は同じでした。

 そこまでやって、やっと「もやもや病かもしれない」となったのです。当時は今ほど知られていない病気でした。そこで脳神経外科に回されました。その病院の脳神経外科の藤本司教授はもやもや病の名医であり、「弱った脳を守りながら、少なくなった脳の血流を増やす、私たちが開発した手術(RDP)をしましょう」「大丈夫。元通りにしてあげる」と言ってくださいました。RDPは、脳を包んでいる膜=硬膜の血管の血流を維持したまま硬膜を部分的に反転させ、血流が少ないことで発作の原因になっている脳の近くに硬膜表面を接触させ、新しく血管を増やす方法とのことでした。先生のお話では、もやもや病になる人は生まれつき内頚動脈に問題があるのだそうです。言われてみれば、子供の頃からマラソンなどでよく倒れていました。

 治療は開頭手術。「脳外科一丸となってやります」と言ってくださり、あまり心配せずに手術に向かうことができました。医師4人のグループで、手術は5時間弱かかったと聞いています。私の体感は10分ぐらいでしたけれど(笑)。あとから聞いた話では、広範囲で少なくなっていた血流を増やすためにRDPを3カ所において、広い範囲で血管が増えてくるようにしたとのことでした。

 腫れが引くまでしばらく頭の上には傷口から染み出る髄液がたまる入れ物が付いていました。その時にお見舞いに来てくれた人は、そんな私の姿が強烈だったようで、いまだに「大丈夫か?」と心配してくれます(笑)。

手術から2年後に新曲を発表

 術後、しばらくはぼーっとしていたと思います。「ここはどこ? 私は誰?」の状態でした。記憶力を回復させるために毎日同じ物語を聞いて問いに答える試験が繰り返されました。左手を使って粘土で動物を作ったり、小豆をお皿からお皿に移動させたり……。根気のいる毎日でしたが、1カ月後、それらの試験で100点を取り、ようやく退院になりました。

 退院後のリハビリはたった1週間だけでした。あとは生活の中で自然に回復してきたのです。左脚は引きずっていましたし、階段は上れなかったし、外で迷子になったこともありました。でも、手術から2年後には新曲を出しました。聞くたび、歌うたびに脳が活性化するように、活性化するテンポ(1分間に116回のリズム)で曲を作っていただいたのです。それも回復に役立ったと信じています。ただ記憶力は少し悪くなりました。歌詞がよく飛びます。これは後遺症じゃなくて年齢でしょうか(笑)。

 手術が怖くて薬でもやもや病の治療をしている人もいるようですが、私は手術ができたことを幸せに思っています。脳梗塞の手術をすると、そのショックで再び脳梗塞を起こしやすいそうですが、私は再入院することもなく、「本当に半身不随だったの?」と疑われるくらいまで回復できました。主治医のおかげです。現代では開頭手術ではなく、頭蓋骨に小さな穴を開けるだけで行う手術もあるようなので、昔より確実に技術が進歩していると思われます。

 薬は20年間、処方されているものを飲み続けています。血圧降下剤と呉茱萸湯という漢方薬とビタミン剤。ずっとこれ。

 変わったのは、お酒を飲まなくなったこと。以前はお酒が大好きでした。でも、脳梗塞の原因になると知ってきっぱりやめられました。

 手術から12~13年後には、もう少し手を動かしたいと思い津軽三味線を習い始めまして、おかげさまで名取まで取らせていただきました。子供の頃に普通の三味線は習っていたのですが、たまたま知り合いが近所で津軽三味線の先生をしていたので通ったのです。初めは左手で弦を押さえることが全然できませんでした。けれど、続けていればできるようになるもんです。何事も諦めないことが大事かなと思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽松原愛(まつばら・あい) 1955年、北海道出身。74年、「愛と誠」のラジオドラマの主題歌を歌うデュオ「あいとまこと」でデビュー。翌年にはソロデビューを果たす。大林宣彦第1回監督映画「HOUSE ハウス」では主役を務め、その後もテレビや映画で活躍した。作詞家の山田孝雄と結婚し、現在は作詞を手掛けるなど歌手活動も再開。横浜で歌の教室「松原ラボ」を開いているほか、ユーチューブ「松原愛チャンネル」では動画編集も手掛ける。

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