2015年2月26日、日本で間もなく姿を消そうとしているブルートレイン。しかし日本での現役引退後、タイに渡り走り続けている車両がある。今回、JR西日本から寄贈されたという車両に乗る事ができたので体験レポートとしてお届けしたい。
取材の帰路に、タイ北部のチェンマイから寝台列車を利用した。日本で現役を終えたブルートレイン車両がタイで走り続けている事はタイ在住者や一部の鉄道ファンにはすでにお馴染みのことでもあるが、記者はこれまでたまたま乗る機会に恵まれなかった。
個人的には待ちに待ったブルートレインでの旅。奮発して1等個室寝台を希望したが残念ながら売切れだった。外国人旅行者にとって、1人5000円前後、1室借りきりでも7400円という料金は割安でもあるため、早くから売切れてしまうようだ。特に12月から4月のハイシーズンには、1カ月前からの予約が必要になる日も少なくない。
仕方なく2等寝台(約3000円)を購入。こちらもJRからの車両なので、目的を外す事は無かった。乗り込むとシートこそビニールカバーに変えられていたが、他はほぼそのままの状態で使われている。禁煙の表示板や案内板も日本語のまま散見できるのが往時を偲ばせる。
バンコク行き特別急行14列車は定刻を少し遅れてチェンマイ駅を発車。しばらくは真っすぐ平地を走っているが、ランプーン辺りからこう配のきつい峠越えになる。ディーゼル機関車を一両増やして、曲がりくねった線路をゆっくりと進む。辺りはちょうど日も傾き、段々と夕焼けに染まってくる頃だ。
喘ぐように峠を登るというわけでなく、知らなければ登っている事にも気がつかない程度の緩やかな登りだった。その間、食堂車で早めの夕食をとった。メニューはどれもタイ料理。タイに住みながらも辛いものが一切食べられない記者は、辛くしないように注文。味の方は可も無く不可も無くといったところか。
ブルートレイン車両以外でのタイの列車旅は清潔好き、潔癖性な人にはすすめない。食堂車も日本の感覚で見れば決してキレイとは言い難く、何よりもトイレは我慢できないだろう。ここでは排泄物は未だに線路に撒き散らしだし、匂いもかなりのものだ。
ランプーン県山あいのクンターン駅が北部線の最高地点。ここでディーゼル機関車を切り離して、あとは下りこう配が続く事になる。花馬車の街ランプーンに着く頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。
タイの寝台列車を利用する際の注意がもう一つ。2等寝台はエアコンとファンの二種類があり、当然ファンの方が割安。そしてエアコン車に乗る場合は、上段の方が寒いくらいの冷房になる。エアコンの吹き出し口に近いせいだが、寒がりの人にはかなりキツい。
食堂車は22時過ぎまでで、材料が無くなったものから終わって行く。基本的には22時半まで営業している。寝る前に何か口に入れておこうと再び食堂車を訪れると、大音響が鳴り響いていた。中央部では業務を終えたらしい従業員たちが、音楽に合わせて踊っている。まさに日本では考えられない光景が繰り広げられていた。その横では他の従業員たちが食器の片付けをしている。そして欧米人たちは楽しげに踊る姿に見入っている。
昨年、状業員による乗客への強姦殺人という悲惨な事件の後、タイの鉄道ではアルコール類の販売と持ち込みが禁止された。しかし彼らはどう見ても酔っている様子。大人しく見ていた欧米人も、こっそりとバッグを開けウイスキーのボトルを見せウインクしてきた。
タイ人の遵法精神は、あまり高いとは言えない。しかし、そのことを厳しく咎めたり、クレームとして申し立てる者もほとんどいない。彼らにとって楽しみを妨げることこそ、忌み嫌う事であり、例え軍事政権が決めた法律であっても気に入らなければ守る気もない。こうして、過去にいくつもの法律が制定後も定着しないまま忘れ去られて来た。
こうしたことをとやかく言うのは、日本人的な発想とも言えるだろう。タイは彼らの国であり、外国人は客に過ぎない。彼らのしていることをとやかく言っても仕方ないのだ。上段のエアコンの効き過ぎたベッドに戻り、眠りにつくまでの間、そんな事を考えた。
翌朝、ドンムアンという車掌の声で目が覚めた。列車は定刻より10分と遅れずに来たようだ。そのままバンスー駅に到着。昨夜楽しませてくれた食堂車のスタッフが、こちらに気がつき手を振って来た。
「また会いましょうね!」
そう言われて、こちらも「ぜひまた!」と答えて駅を出た。
【執筆 : そむちゃい吉田】
取材の帰路に、タイ北部のチェンマイから寝台列車を利用した。日本で現役を終えたブルートレイン車両がタイで走り続けている事はタイ在住者や一部の鉄道ファンにはすでにお馴染みのことでもあるが、記者はこれまでたまたま乗る機会に恵まれなかった。
個人的には待ちに待ったブルートレインでの旅。奮発して1等個室寝台を希望したが残念ながら売切れだった。外国人旅行者にとって、1人5000円前後、1室借りきりでも7400円という料金は割安でもあるため、早くから売切れてしまうようだ。特に12月から4月のハイシーズンには、1カ月前からの予約が必要になる日も少なくない。
仕方なく2等寝台(約3000円)を購入。こちらもJRからの車両なので、目的を外す事は無かった。乗り込むとシートこそビニールカバーに変えられていたが、他はほぼそのままの状態で使われている。禁煙の表示板や案内板も日本語のまま散見できるのが往時を偲ばせる。
バンコク行き特別急行14列車は定刻を少し遅れてチェンマイ駅を発車。しばらくは真っすぐ平地を走っているが、ランプーン辺りからこう配のきつい峠越えになる。ディーゼル機関車を一両増やして、曲がりくねった線路をゆっくりと進む。辺りはちょうど日も傾き、段々と夕焼けに染まってくる頃だ。
喘ぐように峠を登るというわけでなく、知らなければ登っている事にも気がつかない程度の緩やかな登りだった。その間、食堂車で早めの夕食をとった。メニューはどれもタイ料理。タイに住みながらも辛いものが一切食べられない記者は、辛くしないように注文。味の方は可も無く不可も無くといったところか。
ブルートレイン車両以外でのタイの列車旅は清潔好き、潔癖性な人にはすすめない。食堂車も日本の感覚で見れば決してキレイとは言い難く、何よりもトイレは我慢できないだろう。ここでは排泄物は未だに線路に撒き散らしだし、匂いもかなりのものだ。
ランプーン県山あいのクンターン駅が北部線の最高地点。ここでディーゼル機関車を切り離して、あとは下りこう配が続く事になる。花馬車の街ランプーンに着く頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。
タイの寝台列車を利用する際の注意がもう一つ。2等寝台はエアコンとファンの二種類があり、当然ファンの方が割安。そしてエアコン車に乗る場合は、上段の方が寒いくらいの冷房になる。エアコンの吹き出し口に近いせいだが、寒がりの人にはかなりキツい。
食堂車は22時過ぎまでで、材料が無くなったものから終わって行く。基本的には22時半まで営業している。寝る前に何か口に入れておこうと再び食堂車を訪れると、大音響が鳴り響いていた。中央部では業務を終えたらしい従業員たちが、音楽に合わせて踊っている。まさに日本では考えられない光景が繰り広げられていた。その横では他の従業員たちが食器の片付けをしている。そして欧米人たちは楽しげに踊る姿に見入っている。
昨年、状業員による乗客への強姦殺人という悲惨な事件の後、タイの鉄道ではアルコール類の販売と持ち込みが禁止された。しかし彼らはどう見ても酔っている様子。大人しく見ていた欧米人も、こっそりとバッグを開けウイスキーのボトルを見せウインクしてきた。
タイ人の遵法精神は、あまり高いとは言えない。しかし、そのことを厳しく咎めたり、クレームとして申し立てる者もほとんどいない。彼らにとって楽しみを妨げることこそ、忌み嫌う事であり、例え軍事政権が決めた法律であっても気に入らなければ守る気もない。こうして、過去にいくつもの法律が制定後も定着しないまま忘れ去られて来た。
こうしたことをとやかく言うのは、日本人的な発想とも言えるだろう。タイは彼らの国であり、外国人は客に過ぎない。彼らのしていることをとやかく言っても仕方ないのだ。上段のエアコンの効き過ぎたベッドに戻り、眠りにつくまでの間、そんな事を考えた。
翌朝、ドンムアンという車掌の声で目が覚めた。列車は定刻より10分と遅れずに来たようだ。そのままバンスー駅に到着。昨夜楽しませてくれた食堂車のスタッフが、こちらに気がつき手を振って来た。
「また会いましょうね!」
そう言われて、こちらも「ぜひまた!」と答えて駅を出た。
【執筆 : そむちゃい吉田】