2015年5月6日。ラオスの首都ビエンチャンで、ラオス政府の不発弾処理を行う部門に爆弾処理の手法を指導する『日本地雷処理を支援する会(JMAS)』が活動を続けている。
この団体は日本の特定非営利活動法人で、2002年7月に自衛隊の不発弾処理の専門家OBらを中心に、カンボジアの地雷処理などから活動を始めた。現在ではカンボジアを中心にラオス、パラオやアンゴラなど、戦争や紛争で不発爆弾の被害がある地域で活動を続けている。
ラオスが不発弾の多い国だということはあまり知られていないが、実はラオス国民ひとり当たりの被爆弾投下数は世界第一位となっている。
ベトナム戦争時に米軍がラオス北部と南部に投下した爆弾が200万トンになる。北部は当時アメリカから敵と見なされていた共産主義の拠点であり、南部はベトナムのハノイからサイゴン(現ホーチミン)へと一直線に作られた補給路のホーチミン・ルートがあったためだ。三日月型になったベトナム国内を進むよりもラオス国内を通った方が最短距離になるため、ホーチミン・ルートはベトナム中部には通っていなかったのだ。
統計的に爆弾というのは3割が不発になると、JMASビエンチャンの担当者が語る。しかも、米軍は面を攻撃するためにクラスター爆弾を多用した。この爆弾は巨大な筒状にテニスボール大の子爆弾を数百個詰め込み投下する。一定の速度で空中分解して子爆弾が飛散、子爆弾も一定の速度で起爆してさらに破片が広範囲を攻撃する。そのため不発弾の数も範囲も広がってしまった。
不発弾になった子爆弾はその後も被害を広げていく。その被害に遭うのは軍人ではなく、その地域の住民たちで、子どもたちも多くが犠牲になっている。興味本位で触ってみたり、畑を開墾するためにクワを振った瞬間などに爆発するのだ。ベトナム戦争が終わって40年も経つ今でも、年間数百人の民間人が死傷している。
ラオスは海がなく、ほとんどが山岳にある。そのため、カンボジアのように機械処理ができない。一度JMASがコマツが開発した地雷用ブルドーザーの改良版を導入したが、成功に至らず、それ以上の改造は武器輸出の問題に繋がるために断念した経緯がある。
今でも開発は続けられているそうで、近いうちに2回目の導入テストが検討されているそうだ。現状は手作業での処理しかなく、ラオス全土が安全化されるまでにあと200年はかかると試算されている。JMASとコマツの機械導入が成功すれば、この時間が大幅に短縮されると期待される。
JMASは2014年まで、南部を中心にJMAS職員が現場での活動をしてきた。欧米からも不発弾処理のNGOなどが来ているが、彼ら自身が主体となって処理をして行くのとは違い、JMASはラオス人の不発弾処理のエキスパート育成に力を入れている。職員が現場で活動をする目的は指導だった。
2015年に入り、現場での育成活動はいったん終了し、次の段階に入った。それは首都ビエンチャンに教育センターを設立し、基礎から高等技術のトレーニングカリキュラムを実施することだ。この教育プロジェクトは2014年11月に開始され、施設建設後、今年3月にトレーニングが開始されている。
ここで教えている高等技術は日本の自衛隊が行っている「爆弾のこぎりカット法」という現場で爆弾をカットしてしまう技法だ。
ラオスでは地面への衝突速度や地盤の硬さの関係で不発弾が著しく変形し、爆発の要になる信管を取り外すことが困難なことが多い。山中など、人気のない場所であればその場で爆破処理もできるが、民家そばなどでそれができないときにこの技法が活用できる。
実はこの技法はすでに日本でも減りつつあるやり方である。危険であるし、機械で無人処理もある程度できるようになったためだ。ラオスではコストの問題、道路が劣悪で運び込めないなどの理由で導入が困難である。そのため、最終手段として現場でカットする方法を教え、ラオス人エキスパートだけでも活動ができるようにトレーニングを行う。資格認定は現場で3本以上の本物の不発弾のカット成功という命がけの試験になる。
JMASはその活動費用を日本政府からの支援と民間人からの寄付で賄っている。日本政府から出ているものは用途がきっちりと規定されている。しかし、外国という地ではそこからはみ出した出費も少なくない。その分を民間の寄付金などで賄っている。隣国タイと違って知名度の低い国だが、実はこういった問題を抱え、日夜、元自衛官たちが己の信念だけを胸に、ラオスが真の平和を迎えるために命をかけている。
【執筆 : 高田胤臣】
この団体は日本の特定非営利活動法人で、2002年7月に自衛隊の不発弾処理の専門家OBらを中心に、カンボジアの地雷処理などから活動を始めた。現在ではカンボジアを中心にラオス、パラオやアンゴラなど、戦争や紛争で不発爆弾の被害がある地域で活動を続けている。
ラオスが不発弾の多い国だということはあまり知られていないが、実はラオス国民ひとり当たりの被爆弾投下数は世界第一位となっている。
ベトナム戦争時に米軍がラオス北部と南部に投下した爆弾が200万トンになる。北部は当時アメリカから敵と見なされていた共産主義の拠点であり、南部はベトナムのハノイからサイゴン(現ホーチミン)へと一直線に作られた補給路のホーチミン・ルートがあったためだ。三日月型になったベトナム国内を進むよりもラオス国内を通った方が最短距離になるため、ホーチミン・ルートはベトナム中部には通っていなかったのだ。
統計的に爆弾というのは3割が不発になると、JMASビエンチャンの担当者が語る。しかも、米軍は面を攻撃するためにクラスター爆弾を多用した。この爆弾は巨大な筒状にテニスボール大の子爆弾を数百個詰め込み投下する。一定の速度で空中分解して子爆弾が飛散、子爆弾も一定の速度で起爆してさらに破片が広範囲を攻撃する。そのため不発弾の数も範囲も広がってしまった。
不発弾になった子爆弾はその後も被害を広げていく。その被害に遭うのは軍人ではなく、その地域の住民たちで、子どもたちも多くが犠牲になっている。興味本位で触ってみたり、畑を開墾するためにクワを振った瞬間などに爆発するのだ。ベトナム戦争が終わって40年も経つ今でも、年間数百人の民間人が死傷している。
ラオスは海がなく、ほとんどが山岳にある。そのため、カンボジアのように機械処理ができない。一度JMASがコマツが開発した地雷用ブルドーザーの改良版を導入したが、成功に至らず、それ以上の改造は武器輸出の問題に繋がるために断念した経緯がある。
今でも開発は続けられているそうで、近いうちに2回目の導入テストが検討されているそうだ。現状は手作業での処理しかなく、ラオス全土が安全化されるまでにあと200年はかかると試算されている。JMASとコマツの機械導入が成功すれば、この時間が大幅に短縮されると期待される。
JMASは2014年まで、南部を中心にJMAS職員が現場での活動をしてきた。欧米からも不発弾処理のNGOなどが来ているが、彼ら自身が主体となって処理をして行くのとは違い、JMASはラオス人の不発弾処理のエキスパート育成に力を入れている。職員が現場で活動をする目的は指導だった。
2015年に入り、現場での育成活動はいったん終了し、次の段階に入った。それは首都ビエンチャンに教育センターを設立し、基礎から高等技術のトレーニングカリキュラムを実施することだ。この教育プロジェクトは2014年11月に開始され、施設建設後、今年3月にトレーニングが開始されている。
ここで教えている高等技術は日本の自衛隊が行っている「爆弾のこぎりカット法」という現場で爆弾をカットしてしまう技法だ。
ラオスでは地面への衝突速度や地盤の硬さの関係で不発弾が著しく変形し、爆発の要になる信管を取り外すことが困難なことが多い。山中など、人気のない場所であればその場で爆破処理もできるが、民家そばなどでそれができないときにこの技法が活用できる。
実はこの技法はすでに日本でも減りつつあるやり方である。危険であるし、機械で無人処理もある程度できるようになったためだ。ラオスではコストの問題、道路が劣悪で運び込めないなどの理由で導入が困難である。そのため、最終手段として現場でカットする方法を教え、ラオス人エキスパートだけでも活動ができるようにトレーニングを行う。資格認定は現場で3本以上の本物の不発弾のカット成功という命がけの試験になる。
JMASはその活動費用を日本政府からの支援と民間人からの寄付で賄っている。日本政府から出ているものは用途がきっちりと規定されている。しかし、外国という地ではそこからはみ出した出費も少なくない。その分を民間の寄付金などで賄っている。隣国タイと違って知名度の低い国だが、実はこういった問題を抱え、日夜、元自衛官たちが己の信念だけを胸に、ラオスが真の平和を迎えるために命をかけている。
【執筆 : 高田胤臣】