2015年10月8日、日本財団が発行するメールマガジンは、笹川科学研究奨励賞を受賞した、グリザット・アコマトベコワさんを紹介した。
キルギスの観光に貢献したい! 「外国人に親切な日本人が好き」
中央アジアのキルギスから立教大学・大学院に留学中のグリザット・アコマトベコワさん(34)は今春、日本科学協会から笹川科学研究奨励賞を受賞した。夫と子ども2人に囲まれ、大好きな日本での暮らしを楽しんでいるグリザットさんに日本に留学した理由などを聞いた。
―――キルギスは旧ソ連を構成する15共和国の一つで、中国、カザフスタン、ウズベキスタンなどに囲まれている。国土の40%は3,000m以上の高地だが渓谷や湖が多く、風光明媚な観光スポットが少なくない。面積は日本の半分で、人口は約547万人だ。グリザットさんはこの国のどちらで生まれたのですか?
南東部にあるナリン州のコチコル村です。父は首都ビシケクの伝染病管理センターの医師です。母は若いころ、小中高の一貫校で数学教師をしていましたが、今は主婦です。
―――家族は何人ですか。
キルギス人の夫(40)と長女(10)、長男(8つ)の4人家族です。5年前に日本に来て、子ども2人は日本の小学校に通っています。夫は日本の会社でIT関係の技師をしています。
―――日本語がとても上手ですが、どこで勉強したのですか。
ビシケク人文大学の東洋国際関係学部で日本語を習いました。元々は経済が専門でしたが、その後、国際関係を勉強していました。
―――日本語を選んだのはなぜですか。
父は日本の電気製品が好きで、日本製の高いカラーテレビを買ってきて見ていました。母も着物が好きで、両親とも日本好きの家庭でした。私も高校時代、日本の歴史や経済に興味があり、とくに戦後、日本人が協力し合って高度成長を遂げたことに関心がありました。日本語は大学1年の時から勉強を始めました。
―――日本に来たのはいつですか。
学生の時から日本に来たかったのですが、留学生選抜試験に落ちたため、大学卒業後も国際協力機構(JICA)でアルバイトをしながら勉強を続けていました。ようやく試験に合格したので、2009年4月に来日し、すぐ立教大学に通い始めました。
―――なぜ立教大学に入ったのですか。
グリザットさん観光を勉強したかったので、観光学科のある立教大を選びました。キルギスには大きな産業がないので、観光に期待が集まっています。観光を勉強して将来、キルギスの役に立ちたいと思います。今は大学院博士課程で3年目です。
―――日本科学協会で受賞した論文はどんな内容ですか。
キルギスの温泉に焦点を当て、ソ連時代の利用法とソ連崩壊後の利用法がどう変わったかを明らかにしたものです。ソ連時代には、温泉は労働で成果を上げた人しか行けなかったうえ、温泉施設へのバウチャー(引換券)の割当てはソ連の首都モスクワで行われていた。つまり、国家が観光までコントロールしていたのです。ところが、ソ連崩壊後、市場経済化が進み、お金を払えば誰でも温泉へいけるようになったのです。
―――日本の温泉へ行きましたか。
立教大に入ったころ、草津や有馬の温泉に連れて行ってもらいました。友人とおしゃべりしながら、リラックスできるのが好きです。日本の温泉は楽しむためにあり、そういう楽しみ方は日本に来て始めて知りました。
―――キルギスの温泉はどう変わりましたか。
一般の人も温泉を利用するようになり、ホテルがどんどん増えています。とくに、キルギス最大の湖イシク・クル湖(熱い湖の意)周辺の温泉には外国人観光客がたくさん来ています。観光会社は今、ヘルス・ツーリズムや医療ツーリズムを目指しており、様変わりしています。
―――将来、何をしたいですか。
中央アジアを研究する学者になりたい。それに、キルギスの観光発展に貢献するのが夢ですね。日本は暮らしやすく、日本人は外国人にとても親切なので大好きです。もっとも私たちキルギス人は日本人に瓜二つといわれていて、あまり外国人に見られませんけど。
日本科学協会は、科学研究助成対象者となった若手研究者の励みとなるよう、平成19年度から「笹川科学研究奨励賞」を創設し、7つの研究領域で毎年受賞者を表彰している。
【出典 : 日本財団ブログ「ソーシャルイノベーション探訪」】
キルギスの観光に貢献したい! 「外国人に親切な日本人が好き」
中央アジアのキルギスから立教大学・大学院に留学中のグリザット・アコマトベコワさん(34)は今春、日本科学協会から笹川科学研究奨励賞を受賞した。夫と子ども2人に囲まれ、大好きな日本での暮らしを楽しんでいるグリザットさんに日本に留学した理由などを聞いた。
―――キルギスは旧ソ連を構成する15共和国の一つで、中国、カザフスタン、ウズベキスタンなどに囲まれている。国土の40%は3,000m以上の高地だが渓谷や湖が多く、風光明媚な観光スポットが少なくない。面積は日本の半分で、人口は約547万人だ。グリザットさんはこの国のどちらで生まれたのですか?
南東部にあるナリン州のコチコル村です。父は首都ビシケクの伝染病管理センターの医師です。母は若いころ、小中高の一貫校で数学教師をしていましたが、今は主婦です。
―――家族は何人ですか。
キルギス人の夫(40)と長女(10)、長男(8つ)の4人家族です。5年前に日本に来て、子ども2人は日本の小学校に通っています。夫は日本の会社でIT関係の技師をしています。
―――日本語がとても上手ですが、どこで勉強したのですか。
ビシケク人文大学の東洋国際関係学部で日本語を習いました。元々は経済が専門でしたが、その後、国際関係を勉強していました。
―――日本語を選んだのはなぜですか。
父は日本の電気製品が好きで、日本製の高いカラーテレビを買ってきて見ていました。母も着物が好きで、両親とも日本好きの家庭でした。私も高校時代、日本の歴史や経済に興味があり、とくに戦後、日本人が協力し合って高度成長を遂げたことに関心がありました。日本語は大学1年の時から勉強を始めました。
―――日本に来たのはいつですか。
学生の時から日本に来たかったのですが、留学生選抜試験に落ちたため、大学卒業後も国際協力機構(JICA)でアルバイトをしながら勉強を続けていました。ようやく試験に合格したので、2009年4月に来日し、すぐ立教大学に通い始めました。
―――なぜ立教大学に入ったのですか。
グリザットさん観光を勉強したかったので、観光学科のある立教大を選びました。キルギスには大きな産業がないので、観光に期待が集まっています。観光を勉強して将来、キルギスの役に立ちたいと思います。今は大学院博士課程で3年目です。
―――日本科学協会で受賞した論文はどんな内容ですか。
キルギスの温泉に焦点を当て、ソ連時代の利用法とソ連崩壊後の利用法がどう変わったかを明らかにしたものです。ソ連時代には、温泉は労働で成果を上げた人しか行けなかったうえ、温泉施設へのバウチャー(引換券)の割当てはソ連の首都モスクワで行われていた。つまり、国家が観光までコントロールしていたのです。ところが、ソ連崩壊後、市場経済化が進み、お金を払えば誰でも温泉へいけるようになったのです。
―――日本の温泉へ行きましたか。
立教大に入ったころ、草津や有馬の温泉に連れて行ってもらいました。友人とおしゃべりしながら、リラックスできるのが好きです。日本の温泉は楽しむためにあり、そういう楽しみ方は日本に来て始めて知りました。
―――キルギスの温泉はどう変わりましたか。
一般の人も温泉を利用するようになり、ホテルがどんどん増えています。とくに、キルギス最大の湖イシク・クル湖(熱い湖の意)周辺の温泉には外国人観光客がたくさん来ています。観光会社は今、ヘルス・ツーリズムや医療ツーリズムを目指しており、様変わりしています。
―――将来、何をしたいですか。
中央アジアを研究する学者になりたい。それに、キルギスの観光発展に貢献するのが夢ですね。日本は暮らしやすく、日本人は外国人にとても親切なので大好きです。もっとも私たちキルギス人は日本人に瓜二つといわれていて、あまり外国人に見られませんけど。
日本科学協会は、科学研究助成対象者となった若手研究者の励みとなるよう、平成19年度から「笹川科学研究奨励賞」を創設し、7つの研究領域で毎年受賞者を表彰している。
【出典 : 日本財団ブログ「ソーシャルイノベーション探訪」】