2019年1月20日、タイ東部チョンブリー県のシーラチャを取材で訪れた。街を歩いていて、ふと入った店で若くして頑張っている日タイハーフの女性マリさんと出会った。誰にでもそれぞれのストーリーがあるものだが、時にこうした印象深い出会いもある。だから、街歩きはやめられないのだ。
夜のシーラチャの街を歩き回り、ロビンソン裏手を海沿いのチュムチュンポン通りに抜けようと歩いていたシーラチャナコン3通りでWasabiという店に入った時のこと。応対してくれたのは、ママさんと呼ぶには若いマリさん。笑顔がかわいい女の子で、初めは日本語のうまいタイ人だとばかり思っていたのだが、父親が日本人、母親がタイ人でほとんどを日本で育った日タイハーフだとわかった。何となく身の上話し的に始まった会話が印象的だった。
彼女は、(便宜上ママさんと呼んだが)まだ26才。バンコクで生まれ9才の時に、父親の転勤のため山梨県甲府に移り住んだ。山梨学院大学を卒業するまでを過ごした彼女は、母親が熱心にタイの文化を地元の人々に伝える姿を見て育った。しかし、母親以外にタイ語を話す環境もなかっために、タイ語はほとんど話せなくなったという。
大学を卒業したマリさんは、母親の母語であるタイ語が話せないことをコンプレックスにも感じていた。そして、チュラロンコン大学に語学留学を決意。それは日本と全く違う環境と価値観に出会う初めての機会ともなった。その後、さらに英国でも半年間の語学留学をしたものの、彼女が選んだのはタイだった。その決断は、母親の故郷としてではなく、新しい自分にふさわしい場所として選んだ。それは、ヨーロッパのような派手さはないが、日本とも共通することが多く気持ち的にも自然な流れだったという。
Wasabiを開店して、まだ3カ月。たった一人で気を張って頑張りすぎたせいか、やめたいと思ったこともすでに何度もあったとか。それでも、過去と未来と冷静に思い直してみると、続けることが自分が進むべきことだと行き着いた。そもそも、シーラチャで店を出したのも、自分自身が日本人でもあり、タイ人でもあるという意識だった。それを活かすにはバンコクは大き過ぎると思った。そうやって一人いつも自分と向き合っている。
田舎から出て来たばかりのタイ人スタッフの姉代わり、母代わりとして、彼女たちの良さを引き出すのはタイ人として。お客である日本人に対しては、日本人として。生まれ持った宿命をポジティブに精一杯フル活用している。スタッフからもすっかり慕われていることは、店の雰囲気からも伝わって来る。生まれた国ではあるものの、外国語として学んだタイ語と、慣れない文化の中で彼女の孤独な奮闘は始まったばかりだ。
「シーラチャには、男の人のお店はいっぱいあります。でも、女性がくつろいだり、遊んだりするお店は少ないんです。それに男性でも女の子が目的で飲む人ばかりでもない。友達どうし仲間どうしで、ゆっくり話したり、歌ったりできる。そんなお店にしたいんですよね。」
そう語るマリさんは、お客さんのニーズを探りながら、ランチタイム、ディナータイム、バータイムだけでなく、昼と夜の間は「昼カラ」タイムにしたり、女性が気軽に集まれる場所にしたいと話した。
見た所、彼女は日本人としての意識が強いようだ。それでも、流れる血の半分を占めるタイという国で、彼女自身の立ち位置、居場所をも探しているのかも知れない。つい話し込んでしまって気がついた時には、すっかり深夜の閉店時間を回っていた。翌日は早くに移動しなくてはいけなかったので、次に来るときはランチタイムにでも寄って見たいと思う。
【取材/撮影 : そむちゃい吉田】
夜のシーラチャの街を歩き回り、ロビンソン裏手を海沿いのチュムチュンポン通りに抜けようと歩いていたシーラチャナコン3通りでWasabiという店に入った時のこと。応対してくれたのは、ママさんと呼ぶには若いマリさん。笑顔がかわいい女の子で、初めは日本語のうまいタイ人だとばかり思っていたのだが、父親が日本人、母親がタイ人でほとんどを日本で育った日タイハーフだとわかった。何となく身の上話し的に始まった会話が印象的だった。
彼女は、(便宜上ママさんと呼んだが)まだ26才。バンコクで生まれ9才の時に、父親の転勤のため山梨県甲府に移り住んだ。山梨学院大学を卒業するまでを過ごした彼女は、母親が熱心にタイの文化を地元の人々に伝える姿を見て育った。しかし、母親以外にタイ語を話す環境もなかっために、タイ語はほとんど話せなくなったという。
大学を卒業したマリさんは、母親の母語であるタイ語が話せないことをコンプレックスにも感じていた。そして、チュラロンコン大学に語学留学を決意。それは日本と全く違う環境と価値観に出会う初めての機会ともなった。その後、さらに英国でも半年間の語学留学をしたものの、彼女が選んだのはタイだった。その決断は、母親の故郷としてではなく、新しい自分にふさわしい場所として選んだ。それは、ヨーロッパのような派手さはないが、日本とも共通することが多く気持ち的にも自然な流れだったという。
Wasabiを開店して、まだ3カ月。たった一人で気を張って頑張りすぎたせいか、やめたいと思ったこともすでに何度もあったとか。それでも、過去と未来と冷静に思い直してみると、続けることが自分が進むべきことだと行き着いた。そもそも、シーラチャで店を出したのも、自分自身が日本人でもあり、タイ人でもあるという意識だった。それを活かすにはバンコクは大き過ぎると思った。そうやって一人いつも自分と向き合っている。
田舎から出て来たばかりのタイ人スタッフの姉代わり、母代わりとして、彼女たちの良さを引き出すのはタイ人として。お客である日本人に対しては、日本人として。生まれ持った宿命をポジティブに精一杯フル活用している。スタッフからもすっかり慕われていることは、店の雰囲気からも伝わって来る。生まれた国ではあるものの、外国語として学んだタイ語と、慣れない文化の中で彼女の孤独な奮闘は始まったばかりだ。
「シーラチャには、男の人のお店はいっぱいあります。でも、女性がくつろいだり、遊んだりするお店は少ないんです。それに男性でも女の子が目的で飲む人ばかりでもない。友達どうし仲間どうしで、ゆっくり話したり、歌ったりできる。そんなお店にしたいんですよね。」
そう語るマリさんは、お客さんのニーズを探りながら、ランチタイム、ディナータイム、バータイムだけでなく、昼と夜の間は「昼カラ」タイムにしたり、女性が気軽に集まれる場所にしたいと話した。
見た所、彼女は日本人としての意識が強いようだ。それでも、流れる血の半分を占めるタイという国で、彼女自身の立ち位置、居場所をも探しているのかも知れない。つい話し込んでしまって気がついた時には、すっかり深夜の閉店時間を回っていた。翌日は早くに移動しなくてはいけなかったので、次に来るときはランチタイムにでも寄って見たいと思う。
【取材/撮影 : そむちゃい吉田】