2020年10月25日、反政府側がプラユット政権に対して辞職を求めたものの拒絶されたことを受けて、反政府集会が再開されている。これまでの動きの中で何が起きているのか。外側からは見えにくい内情をタイ在住のライターがタイ語メディアなどからまとめた。
デモの裏側で起きていること
タイで連日繰り広げられている反政府派のデモ集会は、大学生と有識者にはじまり高校生へと拡大し、その勢力はさらに拡大しつつつある。この動きは軍事政権の流れを汲む現政権への批判から始まり、それが王室財産を個人資産へと組み替え、富の集積を続け、ドイツに長く居住する現国王への批判へと拡大。当初の集会は大学構内で行われていた。そこに高校生が加わり、バンコク都心の公の場所で行われるに至っている。こうした流れに、学生の親世代が中心となる王党派は大きく反発。家庭内の分断という事態をも引き起こしている。
集会に参加する学生の中には、高校生が増えている。中には集会の最中に宿題をしている姿もある。ある学生はタイメディアのインタビューに対して「私の親は、話を聞こうともしてくれない。とにかく良くないことだと決めつけるだけなんです。もっと私たちの話に耳を傾けて欲しい」と話している。また、他の学生は「いくつもの事実を見せて、親の目を開こうと試みて話したけど、聞いてもらえなかった」と答えている。王室への不敬と強権的な政府を恐れて、家庭内でも大人が子どもを強制的に抑えこもうとしている様子が伺われる。蛇足ではあるが、著者も王党派の友人から、言動に対して批判めいたメールをもらっており、関係を悪くしたくない思いもあって対応に苦慮している。
しかし、王党派であるはずの親世代も心中は複雑で、内心ではかつて先代のプミポン元国王へ示した敬愛とは別の感情を現国王には抱いてきた。そのため、若者たちへの理解はできるものの現実として政府役人や付き合いの中で表立って賛同できないという人も多い。王党派の集会で隠れて三本指を掲げる写真がSNSに掲載され話題となったことがそれを象徴している。怖いもの知らずの若者に対して、現実のしがらみの中で隠れて密かに賛同している大人たちも少なくないようだ。
陰でうごめく大人の事情
学生たちが現政権を批判している理由の一つとして、賄賂が横行しているという現実がある。タクシン元首相が就任した直後には、徹底した公務員改革がなされ、悪習が一掃された時期があった。しかし、その後黄シャツ側が政権に復帰して、その流れを汲む現政権が続いてきた結果、この悪習は現在も再び幅を利かせている。
集会を禁止した非常事態令が解除されると王党派も表立った行動を開始している。しかし、中には、強制的にかき集められた市民や軍や警察関係者が市民に扮して参加している姿が見られたり、日当目当てに参加しているという実態がSNSに投稿され「本当は1,000バーツなのにピンハネされて500バーツしかもらえなかった」などと言った投稿もなされている。
かつてタクシン元首相を追放したクーデター以降、黄シャツ(守旧派)と赤シャツ(タクシン派)による対立が長く続いていたタイは、今でも基本的な対立構造に大きな変わりない。今回の反政府デモでは、学生たちの資金源には旧赤シャツ派やタクシン元首相などの関与や、米国による支援などが噂されている。
現政権の苦悩
現政権の退場と民主憲法の復活。そして、行き過ぎた国王による資産管理について、王室財産管理局に戻すことが反政府側の求める王室改革だ。しかし、政権側も絶対的な国王の前にあって、安易に要求に応じられないのが、いわゆる大人の事情となっている。かつてプミポン元国王が存命だった時代には、仲裁に入って解決をしたのだが現国王にはその意向は見受けられない。だが、その一方でSNSなどでの王室批判を許容している点や不敬罪の適応を控えるよう指示しているとされる点。そして、いくつかの批判的なメディアに対してのアカウント凍結を裁判所が却下したことも注目に値する動きと言える。
バンコク都心の商業地区で行われたデモに対して、放水車を用いた強制排除をきっかけに反対勢力への賛同が増加したことで、政府側は力による排除を控えている節がある。反政府側も集会場所を直前まで公表しないことで、無用な衝突を避けようという配慮も見られる。
世代交代としての民主化要求
総じて言えることは、民主主義の理想への変革を求める若者たちだがタイという国家への誇りと忠誠心は捨てていない。むしろ誇りと忠誠心を守りたい、あるいは愛すべき国家、王室であって欲しいが故に今回のデモに至っていると言えるだろう。現国王は先日「国王を愛する国民が必要だ。」と語ったていたが、これにはそもそも論として国民に愛される国王となるのが先決だという反政府側の言い分が正しいだろう。少なくともドイツなどでの奇行をパパラッチされるような王様をそのまま愛せるほど今や国民は盲目ではないのだから。
問題は現政権が、不正を正したいという子ども達の訴えを、大人として対面や自己保身ばかりを気にして応じないこと。間違ったことをしてはいけないと教えてきた大人に対して、子ども達が大人自身が間違っている点を指摘しているという構図でもある。これは言い換えれば、理想を追い求める若者と変化を嫌う大人という人類が古来から繰り返してきた世代交代の時に起こる揉め事でもある。
【執筆 : BB】
デモの裏側で起きていること
タイで連日繰り広げられている反政府派のデモ集会は、大学生と有識者にはじまり高校生へと拡大し、その勢力はさらに拡大しつつつある。この動きは軍事政権の流れを汲む現政権への批判から始まり、それが王室財産を個人資産へと組み替え、富の集積を続け、ドイツに長く居住する現国王への批判へと拡大。当初の集会は大学構内で行われていた。そこに高校生が加わり、バンコク都心の公の場所で行われるに至っている。こうした流れに、学生の親世代が中心となる王党派は大きく反発。家庭内の分断という事態をも引き起こしている。
集会に参加する学生の中には、高校生が増えている。中には集会の最中に宿題をしている姿もある。ある学生はタイメディアのインタビューに対して「私の親は、話を聞こうともしてくれない。とにかく良くないことだと決めつけるだけなんです。もっと私たちの話に耳を傾けて欲しい」と話している。また、他の学生は「いくつもの事実を見せて、親の目を開こうと試みて話したけど、聞いてもらえなかった」と答えている。王室への不敬と強権的な政府を恐れて、家庭内でも大人が子どもを強制的に抑えこもうとしている様子が伺われる。蛇足ではあるが、著者も王党派の友人から、言動に対して批判めいたメールをもらっており、関係を悪くしたくない思いもあって対応に苦慮している。
しかし、王党派であるはずの親世代も心中は複雑で、内心ではかつて先代のプミポン元国王へ示した敬愛とは別の感情を現国王には抱いてきた。そのため、若者たちへの理解はできるものの現実として政府役人や付き合いの中で表立って賛同できないという人も多い。王党派の集会で隠れて三本指を掲げる写真がSNSに掲載され話題となったことがそれを象徴している。怖いもの知らずの若者に対して、現実のしがらみの中で隠れて密かに賛同している大人たちも少なくないようだ。
陰でうごめく大人の事情
学生たちが現政権を批判している理由の一つとして、賄賂が横行しているという現実がある。タクシン元首相が就任した直後には、徹底した公務員改革がなされ、悪習が一掃された時期があった。しかし、その後黄シャツ側が政権に復帰して、その流れを汲む現政権が続いてきた結果、この悪習は現在も再び幅を利かせている。
集会を禁止した非常事態令が解除されると王党派も表立った行動を開始している。しかし、中には、強制的にかき集められた市民や軍や警察関係者が市民に扮して参加している姿が見られたり、日当目当てに参加しているという実態がSNSに投稿され「本当は1,000バーツなのにピンハネされて500バーツしかもらえなかった」などと言った投稿もなされている。
かつてタクシン元首相を追放したクーデター以降、黄シャツ(守旧派)と赤シャツ(タクシン派)による対立が長く続いていたタイは、今でも基本的な対立構造に大きな変わりない。今回の反政府デモでは、学生たちの資金源には旧赤シャツ派やタクシン元首相などの関与や、米国による支援などが噂されている。
現政権の苦悩
現政権の退場と民主憲法の復活。そして、行き過ぎた国王による資産管理について、王室財産管理局に戻すことが反政府側の求める王室改革だ。しかし、政権側も絶対的な国王の前にあって、安易に要求に応じられないのが、いわゆる大人の事情となっている。かつてプミポン元国王が存命だった時代には、仲裁に入って解決をしたのだが現国王にはその意向は見受けられない。だが、その一方でSNSなどでの王室批判を許容している点や不敬罪の適応を控えるよう指示しているとされる点。そして、いくつかの批判的なメディアに対してのアカウント凍結を裁判所が却下したことも注目に値する動きと言える。
バンコク都心の商業地区で行われたデモに対して、放水車を用いた強制排除をきっかけに反対勢力への賛同が増加したことで、政府側は力による排除を控えている節がある。反政府側も集会場所を直前まで公表しないことで、無用な衝突を避けようという配慮も見られる。
世代交代としての民主化要求
総じて言えることは、民主主義の理想への変革を求める若者たちだがタイという国家への誇りと忠誠心は捨てていない。むしろ誇りと忠誠心を守りたい、あるいは愛すべき国家、王室であって欲しいが故に今回のデモに至っていると言えるだろう。現国王は先日「国王を愛する国民が必要だ。」と語ったていたが、これにはそもそも論として国民に愛される国王となるのが先決だという反政府側の言い分が正しいだろう。少なくともドイツなどでの奇行をパパラッチされるような王様をそのまま愛せるほど今や国民は盲目ではないのだから。
問題は現政権が、不正を正したいという子ども達の訴えを、大人として対面や自己保身ばかりを気にして応じないこと。間違ったことをしてはいけないと教えてきた大人に対して、子ども達が大人自身が間違っている点を指摘しているという構図でもある。これは言い換えれば、理想を追い求める若者と変化を嫌う大人という人類が古来から繰り返してきた世代交代の時に起こる揉め事でもある。
【執筆 : BB】