2021年2月、ミャンマーはメンツを大事にする国だ。少々無理なお願いを相手に通したい時は相手が「そうだね、そうしましょうか」と言いやすい『小芝居』をしばしば挟む。
例えば、車が違反をした場合、交通警察は賄賂が欲しい訳だけし、賄賂をもらえば解放する気満々なのだが、運転手側が「いくらお支払いすれば解放してもらえますか」と単刀直入に言ってくるのは好まない。それでは自分達がまるで「卑しい人間のようではないか」と彼らは思う。
そこで、道の端に車を止めて「おいおい、違反したからには免許を取り上げるしかないな」「それは困ります」「困るがしょうがないだろう」「免許なしでは明日から仕事が出来ません」「仕事が出来ないとは、、、それは大変だな、しかし規則だから免許は頂かないとな」「学費のかかる子供が三人もいるんです、そこを何とか」「確かに、、、それは気の毒だな。しかし規則は規則だし、、、」「お兄さん、いつも交通警察の仕事でお疲れでしょう、コーヒー代でもお渡ししますから」「コーヒーか、、、ふん」とここでやっと一万チャット(約750円)を渡すと、やっと「子供もいるんだから、もう交通違反なんかするんじゃないぞ」と解放される。これがミャンマー流、相手のメンツを潰さない交渉術の一つだ。
それでは何故、今回の2月のクーデターが起きたのか。2020年11月の総選挙でアウン・サン・スー・チー氏率いるNLDは議席の8割以上を獲得し、圧勝する。国軍側としても、この結果は予想をあまりに大きく上回る大敗だったに違いない。この後、国軍側はNLDのアウン・サン・スー・チー氏に選挙に不正があったのではないか、再三申し入れ、調査を要求する。
おそらく軍としては、この申し入れに対し、アウン・サン・スー・チー氏が「確かに、選挙には不備があったのかもしれませんね、ではもう一回、選挙をやり直しましょうか」と言って、どさくさに紛れて、軍の体面を保つほどの議席をこっそり分けてくれる、というロードマップを描いていたはずだ。しかしこの提案は取り上げられこともなく却下され、軍としては「敢えて腰を低くして、表立った衝突を避け、我らに議席を譲る機会を再三与えたにも拘わらず、無下に扱われ、恥をかかされた」と考え、それまでの不満に一気に火がつきクーデターにつながった。
クーデターの起きる2日前には、国軍関係者の間では2月1日のクーデターは確定とされていたが、前日の1月31日、「もう一度」国軍側とアウン・サン・スー・チー氏の間で、この「選挙の不正」に関しての最後の話し合いがもたれる。しかし交渉は決裂し、軍はクーデターを決行する。
国軍としても、実際には昔の様な軍事政権に戻りたかった訳ではなく、ただ「あまりに急激に軍の力が弱体化することを避け、もう少し議席と権利が欲しかった」というのが本音であろう。そう考えると2月8日の国営テレビを通じ、ミン・アウン・フライン国軍最高司令官が演説で「どこどこの地区に、何票の不正投票の疑いがあった」という説明に、長々と時間を割き、今回の軍政は2011年まで49年間続いたものとは違い、外交政策に変更はない、と主張したことも納得がいく。
しかしミャンマー国民の間でのアウン・サン・スー・チー氏の人気は高く、国民はクーデターを受け入れず『国の母』であるアウン・サン・スー・チー氏の解放を強く求め、今回の件により、皮肉にも、改めて国軍の人気の無さが浮き彫りになる結果となった。
このクーデターに関して、国軍の思惑が外れたことはまだある。例えデモが起きたとしても、いつものように、不安感や怒りの感情を揺さぶれば民衆は暴動化し、暴徒化すれば国の安全の為だといって、軍の力でデモを抑えることができる、と考えていたことだ。
しかし1988年、2007年のデモと違い、2021年のデモはSNSを駆使し、ミャンマー国中が情報を素早く共有し、国民が力を合わせて、極めて平和的なデモを行った。国中が列を組み、医療従事者、物売り、教師、芸能人、サッカー選手、少数民族、LGBT、ボディービルダー、ありとあらゆる職業、立場、民族がお互いを尊重し、一丸となり、人間としての自由を奪われないことを信じ、デモに参加している。
軍政時代、ミャンマーは公正なビジネスの機会も教育の機会も表現の自由もなく、豊かな資源国にも拘わらず、国連より1987年より最貧国として指定されていた。
クーデターの終息地点はまだ見つからないが、ミャンマーのこれからの動きに世界の注視が集まっている。
【編集 : 竹永ケイシロ】
例えば、車が違反をした場合、交通警察は賄賂が欲しい訳だけし、賄賂をもらえば解放する気満々なのだが、運転手側が「いくらお支払いすれば解放してもらえますか」と単刀直入に言ってくるのは好まない。それでは自分達がまるで「卑しい人間のようではないか」と彼らは思う。
そこで、道の端に車を止めて「おいおい、違反したからには免許を取り上げるしかないな」「それは困ります」「困るがしょうがないだろう」「免許なしでは明日から仕事が出来ません」「仕事が出来ないとは、、、それは大変だな、しかし規則だから免許は頂かないとな」「学費のかかる子供が三人もいるんです、そこを何とか」「確かに、、、それは気の毒だな。しかし規則は規則だし、、、」「お兄さん、いつも交通警察の仕事でお疲れでしょう、コーヒー代でもお渡ししますから」「コーヒーか、、、ふん」とここでやっと一万チャット(約750円)を渡すと、やっと「子供もいるんだから、もう交通違反なんかするんじゃないぞ」と解放される。これがミャンマー流、相手のメンツを潰さない交渉術の一つだ。
それでは何故、今回の2月のクーデターが起きたのか。2020年11月の総選挙でアウン・サン・スー・チー氏率いるNLDは議席の8割以上を獲得し、圧勝する。国軍側としても、この結果は予想をあまりに大きく上回る大敗だったに違いない。この後、国軍側はNLDのアウン・サン・スー・チー氏に選挙に不正があったのではないか、再三申し入れ、調査を要求する。
おそらく軍としては、この申し入れに対し、アウン・サン・スー・チー氏が「確かに、選挙には不備があったのかもしれませんね、ではもう一回、選挙をやり直しましょうか」と言って、どさくさに紛れて、軍の体面を保つほどの議席をこっそり分けてくれる、というロードマップを描いていたはずだ。しかしこの提案は取り上げられこともなく却下され、軍としては「敢えて腰を低くして、表立った衝突を避け、我らに議席を譲る機会を再三与えたにも拘わらず、無下に扱われ、恥をかかされた」と考え、それまでの不満に一気に火がつきクーデターにつながった。
クーデターの起きる2日前には、国軍関係者の間では2月1日のクーデターは確定とされていたが、前日の1月31日、「もう一度」国軍側とアウン・サン・スー・チー氏の間で、この「選挙の不正」に関しての最後の話し合いがもたれる。しかし交渉は決裂し、軍はクーデターを決行する。
国軍としても、実際には昔の様な軍事政権に戻りたかった訳ではなく、ただ「あまりに急激に軍の力が弱体化することを避け、もう少し議席と権利が欲しかった」というのが本音であろう。そう考えると2月8日の国営テレビを通じ、ミン・アウン・フライン国軍最高司令官が演説で「どこどこの地区に、何票の不正投票の疑いがあった」という説明に、長々と時間を割き、今回の軍政は2011年まで49年間続いたものとは違い、外交政策に変更はない、と主張したことも納得がいく。
しかしミャンマー国民の間でのアウン・サン・スー・チー氏の人気は高く、国民はクーデターを受け入れず『国の母』であるアウン・サン・スー・チー氏の解放を強く求め、今回の件により、皮肉にも、改めて国軍の人気の無さが浮き彫りになる結果となった。
このクーデターに関して、国軍の思惑が外れたことはまだある。例えデモが起きたとしても、いつものように、不安感や怒りの感情を揺さぶれば民衆は暴動化し、暴徒化すれば国の安全の為だといって、軍の力でデモを抑えることができる、と考えていたことだ。
しかし1988年、2007年のデモと違い、2021年のデモはSNSを駆使し、ミャンマー国中が情報を素早く共有し、国民が力を合わせて、極めて平和的なデモを行った。国中が列を組み、医療従事者、物売り、教師、芸能人、サッカー選手、少数民族、LGBT、ボディービルダー、ありとあらゆる職業、立場、民族がお互いを尊重し、一丸となり、人間としての自由を奪われないことを信じ、デモに参加している。
軍政時代、ミャンマーは公正なビジネスの機会も教育の機会も表現の自由もなく、豊かな資源国にも拘わらず、国連より1987年より最貧国として指定されていた。
クーデターの終息地点はまだ見つからないが、ミャンマーのこれからの動きに世界の注視が集まっている。
【編集 : 竹永ケイシロ】