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グローバル時代の先人の記憶鮮やかに『国境なき時代を生きる』(原野 城治 著)発刊

Global News Asia 2021年5月30日 7時0分

 昨年、中国湖北省の武漢市で起きた疫病が、私たちの暮らしを、わずか1年半でこんなにも変えてしまうとは、どれだけの人々が想像していただろう。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で、世界の人々は、グローバル時代の現実を、恐怖とともに思い知らされている。

 ジャーナリスト、原野城治氏の新著『国境なき(ノーボーダー時代を生きる』は、江戸時代末期から昭和前期まで、日本と世界をボーダーレスに生きた、数多くの先人たちの生涯を俯瞰したものだ。

 筆者は「21世紀のノーボーダー時代にあって、江戸時代以降の先人たちが、押し寄せる帝国主義や、それにともなうグローバル化という厳しい環境の中で、どのように生き抜いてきたのか一度振り返ってみようと考えた」と書いている。

 本書の先人には、外交官もいれば文化人もおり、日本人だけでなく中国人やインド人もいる。戦前のリトアニア領事としてナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人を救った杉原千畝、ジョン万次郎ら、既に著名な人物も含まれ、近年での顕彰の動きや、現在にも影響を与えている意外な事績に触れている。

 本書が触れた先人のうち評者は、毀誉褒貶に翻弄された天才画家、藤田嗣治と、私財を投じ学生寮「パリ日本館」を建設した「東洋のロックフェラー」薩摩治郎八の紹介に、筆者の強い思い入れを感じる。

 藤田は、1920年代にパリの画壇で寵児となったが、戦時中に描いた戦争画により、戦後の日本で批判の矢面に立たされた。祖国を捨ててフランスに渡って帰化し、孤独に生きた。筆者は藤田について「残念なことに、東洋と西洋に生きたが故に、業績が十分に評価されていない」と書いてている。

 薩摩は資産家の子息で、20年代、「パリ日本館」の建設などに現在の金で200億円もの金を投じた。パリ社交界の華で「バロン・サツマ」と呼ばれた人物。戦後は、実家の破産のため、日本で隠棲した文筆で生計を維持した。スケールが大きな波乱万丈の生涯は、筆者が書くように、戦後の日本では「二度と生まれぬ絶滅危惧種」と思われる。

 それでも日本と世界のどこかで、21世紀のノーボーダーの時代に、先人をしのぐ活躍をしている、若き男女が生まれていることを信じたい。

 筆者も「あとがき」で述べるように、本書の先人はいずれも男性。次作では「逆境の時代を突き抜けた女性」の物語をたどってみたいとのことだ。

 原野氏は、時事通信社政治部記者、編集局次長を経て、外務省が国際広報の一翼を担うとして支援していた民間企業ジャパンエコーの社長に就任。国連公用語6ヵ国語による多言語サイト「ニッポンドットコム」の運営財団の理事長も務めた。著書に『日本の発信力と対外発信 「静かなる有事」を超えて』(ホルス出版)がある。
【執筆 : ジャーナリスト・井上雄介】

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