2022年今年、カーネルサンダースが生きていれば、132歳になる。まあまあそんなことはどうでもいいのだが、昭和55年まで生きていたということは、動いていたカーネルおじさんを見たことがある人も、この世にはいるんだなとしみじみ思う。
韓国に、フランチャイズではなく、本社直営店としてケンタッキー・フライド・チキンが開店したのは、おじさんの死後4年経った1984年のことだった。それからわずか34年。去る1月2日、その1号店が、閉店した。
さすが本社だ、やることは速い。3日には、看板撤去と同時に店内の什器類も撤去されていた。仮店舗であると日本の場合、借主が看板まで撤去しないでドロンする場合も多いが、本社的には、38年間の足跡を一切残したくなかったと見える。
この1号店は、数々の韓国ドラマのロケ地としても有名だった。ある意味流行の発信地点だったのだ。
しかし、ケンタッキー人気にあやかろうと、フランチャイズの他社も多く出店するようになって、特出した店というか、ケンタッキーの有難みも少しずつ、不景気の波に飲まれていき、そして、コロナ禍でとどめを刺された。周辺にあった留学のための予備校や語学学校が次々と閉校した。例えば、ハンバーガーのM社と比べると、ケンタッキーの単価はちょっと高い。お金はないけど、仲間との集まりには欠かせない出費はできる学生の来店もなくなった。もちろん、もともとアルコール類はメニューにないケンタッキーで会社員の飲み会は行われない。
もしかしたら、もっと「本当のとどめ」は、「韓国チキン」や「フライド」という得体のしれない韓国発のチキンが発祥してしまったからかもしれない。このままでは、カーネルおじさんまで韓国の血が流れている歴史にされてしまう…。とにかく、韓国チキンが世界的な名称として浸透する前に、ケンタッキーがあった痕跡すら消してしまえ。それほど、本社にとって韓国は忌むべき土地柄なのかもしれない。
ケンタッキーは、カーネルおじさんが考え出した秘伝なのだ。簡単に韓国人がチキンにできるものではない。そんなプライドを見せつけた、本社の英断だったとも言える。
38年、おじさん人形も、臭くてご苦労様でした。
【編集 : fa】
韓国に、フランチャイズではなく、本社直営店としてケンタッキー・フライド・チキンが開店したのは、おじさんの死後4年経った1984年のことだった。それからわずか34年。去る1月2日、その1号店が、閉店した。
さすが本社だ、やることは速い。3日には、看板撤去と同時に店内の什器類も撤去されていた。仮店舗であると日本の場合、借主が看板まで撤去しないでドロンする場合も多いが、本社的には、38年間の足跡を一切残したくなかったと見える。
この1号店は、数々の韓国ドラマのロケ地としても有名だった。ある意味流行の発信地点だったのだ。
しかし、ケンタッキー人気にあやかろうと、フランチャイズの他社も多く出店するようになって、特出した店というか、ケンタッキーの有難みも少しずつ、不景気の波に飲まれていき、そして、コロナ禍でとどめを刺された。周辺にあった留学のための予備校や語学学校が次々と閉校した。例えば、ハンバーガーのM社と比べると、ケンタッキーの単価はちょっと高い。お金はないけど、仲間との集まりには欠かせない出費はできる学生の来店もなくなった。もちろん、もともとアルコール類はメニューにないケンタッキーで会社員の飲み会は行われない。
もしかしたら、もっと「本当のとどめ」は、「韓国チキン」や「フライド」という得体のしれない韓国発のチキンが発祥してしまったからかもしれない。このままでは、カーネルおじさんまで韓国の血が流れている歴史にされてしまう…。とにかく、韓国チキンが世界的な名称として浸透する前に、ケンタッキーがあった痕跡すら消してしまえ。それほど、本社にとって韓国は忌むべき土地柄なのかもしれない。
ケンタッキーは、カーネルおじさんが考え出した秘伝なのだ。簡単に韓国人がチキンにできるものではない。そんなプライドを見せつけた、本社の英断だったとも言える。
38年、おじさん人形も、臭くてご苦労様でした。
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