2022年1月20日、本サイトでタイのニュースなどを寄稿しているライターの「そむちゃい吉田氏」から、昨年9月のインタビューに続いて、タイ中部サラブリー県から現状のレポートが届いた。
昨年9月にわたしが編集部のインタビューに答える形で、住んでいる村の現状などを報告したのですが、あれから約半年たった今、わが村で起きた変化をご報告したいと思います。前回の頃は、サラブリー県の新型コロナの感染状況は、タイの中でも感染多発地域として県外へ出かけるにも制限されていたのですが、現在も感染者はでているものの落ち着いています。規制もかなり緩和されて来ていて、年明け頃からのオミクロン株の拡大で一時は警戒感が強まりましたが、それも再び少しづつ落ち着いて来た感じです。ちなみに前回のインタビューで感染状況などについて言及がなかったのは、タイ国内が逼迫していた中でも、わが村ではほとんど変わることなく暮らせていたという状況だったことにもよります。
さて、わが村で起こった1つ目の変化としては、前回の頃(2021年9月)には村人も仕事が無くて困っていた人が多かったのですが、昨年12月頃から仕事が少しずつ入って来るようになったようで、わが家で毎日ゴロゴロしていた甥っ子もやっと、従来の建築関係の仕事に出かけることが増えて来ました。20代の男が家でゴロゴロしているのを見ているのは、仕方がないとはいえ私にとっては精神的にキツいところがありましたので、正直ホッとしています。
こうした仕事の関連では、近くの養鶏場のケースは日本にも間接的に関係しているかも知れません。日本の食品メーカーがいくつもの商品供給を中断しているニュースがありましたが、そこでは、タイ最大手の食肉会社に収める鶏を育てているのですが、カンボジア人ワーカーが集団感染。養鶏場はしばらく閉鎖されていました。昨年11月頃から再開しているものの、住み込みで陰性証明をもったワーカーだけが働いているため、労働者不足で生産量は一向に増やすことができていない状況が続いていたとのこと。こうした汚れる仕事には、田舎の若者も敬遠しがちなため、近隣諸国からの労働者が戻ってくるまでは、供給不足は続くのかも知れません。
2つ目は、今月からやっと学校が再開されたこと。タイでは、昨年11月頃から各地で学校が再開されていたのですが、地域によっては閉鎖が継続されたままでした。わが村も年が明けてやっと再開されました。それまでは、オンライン授業ということでラインを使ってのやりとりをしていました。我が家では、小学5年生の姪っ子がいるので、はじめ私のタブレットを貸していたのですが、年末に専用のスマホを買ってあげました。ただ、他の家では家族にもスマホを持っていない家庭があったのですが、そういう家は生徒同士で貸し借りしたり、一緒に授業を受けたりしていたようです。それでも、結局授業を受けられない生徒もいたようです。感染対策でオンライン授業をやっても、結局は生徒が一つのスマホに顔を突き合わせているので、本末転倒になっていましたが、子ども達の学習意欲を維持するためにもまずは、できることをできる範囲でやっていかないとならない状況にもなっていたんだと思います。
3つ目は、ごく身内ネタではありますが、フィンランドに住んでいる義妹夫婦が年明け3年ぶりに帰省して来たこと。新型コロナの影響で昨年一昨年とオミクロン株拡大で外国人観光客の受入れ策テスト&ゴーが中断となっていますが、彼らは中断される前に手続きと手配を終えていたためにバンコクで1泊だけ検査待機をしただけで、帰省してくることができました。そして、他の親族も帰省してきたタイミングで、建ってから1年以上経っていた家の新築祈祷をすることもできました。これはタイの風習で家を新築した時や、新たに事業を始める時などの際にお坊さんを呼んで、先々の憂を祓い成功を祈願するというものです。
さて、ここに来てオミクロン株の実際の脅威が小さいとの分析が出て来ていることから、タイ政府ではテスト&ゴーの再開へ向けての協議が始められるとのニュースも入っています。新型コロナに振り回されている世界の中で、私自身はほとんどマスクもしないで生活していることが多いので、まるで別世界のことと見ることもできる状況ではあるのですが、友人知人から異口同音に連日のようにタイが恋しいという書き込みを見ていると、早くこの状況が終わってくれることを願うばかりです。
【レポート:そむちゃい吉田】
【編集 : af】
昨年9月にわたしが編集部のインタビューに答える形で、住んでいる村の現状などを報告したのですが、あれから約半年たった今、わが村で起きた変化をご報告したいと思います。前回の頃は、サラブリー県の新型コロナの感染状況は、タイの中でも感染多発地域として県外へ出かけるにも制限されていたのですが、現在も感染者はでているものの落ち着いています。規制もかなり緩和されて来ていて、年明け頃からのオミクロン株の拡大で一時は警戒感が強まりましたが、それも再び少しづつ落ち着いて来た感じです。ちなみに前回のインタビューで感染状況などについて言及がなかったのは、タイ国内が逼迫していた中でも、わが村ではほとんど変わることなく暮らせていたという状況だったことにもよります。
さて、わが村で起こった1つ目の変化としては、前回の頃(2021年9月)には村人も仕事が無くて困っていた人が多かったのですが、昨年12月頃から仕事が少しずつ入って来るようになったようで、わが家で毎日ゴロゴロしていた甥っ子もやっと、従来の建築関係の仕事に出かけることが増えて来ました。20代の男が家でゴロゴロしているのを見ているのは、仕方がないとはいえ私にとっては精神的にキツいところがありましたので、正直ホッとしています。
こうした仕事の関連では、近くの養鶏場のケースは日本にも間接的に関係しているかも知れません。日本の食品メーカーがいくつもの商品供給を中断しているニュースがありましたが、そこでは、タイ最大手の食肉会社に収める鶏を育てているのですが、カンボジア人ワーカーが集団感染。養鶏場はしばらく閉鎖されていました。昨年11月頃から再開しているものの、住み込みで陰性証明をもったワーカーだけが働いているため、労働者不足で生産量は一向に増やすことができていない状況が続いていたとのこと。こうした汚れる仕事には、田舎の若者も敬遠しがちなため、近隣諸国からの労働者が戻ってくるまでは、供給不足は続くのかも知れません。
2つ目は、今月からやっと学校が再開されたこと。タイでは、昨年11月頃から各地で学校が再開されていたのですが、地域によっては閉鎖が継続されたままでした。わが村も年が明けてやっと再開されました。それまでは、オンライン授業ということでラインを使ってのやりとりをしていました。我が家では、小学5年生の姪っ子がいるので、はじめ私のタブレットを貸していたのですが、年末に専用のスマホを買ってあげました。ただ、他の家では家族にもスマホを持っていない家庭があったのですが、そういう家は生徒同士で貸し借りしたり、一緒に授業を受けたりしていたようです。それでも、結局授業を受けられない生徒もいたようです。感染対策でオンライン授業をやっても、結局は生徒が一つのスマホに顔を突き合わせているので、本末転倒になっていましたが、子ども達の学習意欲を維持するためにもまずは、できることをできる範囲でやっていかないとならない状況にもなっていたんだと思います。
3つ目は、ごく身内ネタではありますが、フィンランドに住んでいる義妹夫婦が年明け3年ぶりに帰省して来たこと。新型コロナの影響で昨年一昨年とオミクロン株拡大で外国人観光客の受入れ策テスト&ゴーが中断となっていますが、彼らは中断される前に手続きと手配を終えていたためにバンコクで1泊だけ検査待機をしただけで、帰省してくることができました。そして、他の親族も帰省してきたタイミングで、建ってから1年以上経っていた家の新築祈祷をすることもできました。これはタイの風習で家を新築した時や、新たに事業を始める時などの際にお坊さんを呼んで、先々の憂を祓い成功を祈願するというものです。
さて、ここに来てオミクロン株の実際の脅威が小さいとの分析が出て来ていることから、タイ政府ではテスト&ゴーの再開へ向けての協議が始められるとのニュースも入っています。新型コロナに振り回されている世界の中で、私自身はほとんどマスクもしないで生活していることが多いので、まるで別世界のことと見ることもできる状況ではあるのですが、友人知人から異口同音に連日のようにタイが恋しいという書き込みを見ていると、早くこの状況が終わってくれることを願うばかりです。
【レポート:そむちゃい吉田】
【編集 : af】