1945年8月15日、日本は戦争に負けた。もっと早くに負けていたことを、軍は認めなかった。軍国主義教育を受け、世の中も「日本には神風がついている」信仰で、国民がいかに苦しい状況になったとしても、本土決戦で国民が全員死に絶えても、日本が負けるはずはないと思っていた。きっとダメ押しになったのは、ヒロシマとナガサキであり、それでも、玉音放送を当日まで阻止しようとした人間もいた。
今の世界は、第二次世界大戦が起こる直前の雰囲気ととてもよく似ている。ウクライナとロシアの戦争について、自称戦略家が「こうしたら勝てるよ」とSNSで発信している。それでも、日本が有事に巻き込まれたら、専門家の自衛隊(くれぐれも軍隊ではない)にお任せと言うお気軽さだ(素人の我々が戦ってなんになるという言い訳)。
さて、韓国は、いまだ第二次世界大戦及び、日本帝国支配の頃で時が止まっている。止めていると言った方がいいか。その時に、被害にあった事例を挙げては、支配者であった日本に謝罪と賠償金を請求してくる。
それでも、その渦中にあった韓国人は80代後半から100歳前後であり、本人を全面に出して、日本からお金を巻き上げる時間が残り少なく焦っている。
もっと金になるネタはないだろうか。…BC級戦犯になった韓国人を持ち出してきた。戦犯被害者と言うらしい。旧日本軍人として、強制招集され、アメリカをはじめとする連合国軍の捕虜を収容し管理する捕虜監視員としての服務をしていたそうだ。148人がBC級戦犯になり、23人が死刑に処された。
148人全員がオイシイ思いをしたとは思わないが、捕虜に対する理不尽な虐待などを「日本軍人」として喜んで行った者だって皆無ではない。上官に制裁受けるから、仕方なく従ったは、言い訳でしかない。ひもじい思いをしている国民よりも少しは良い食べ物も支給されただろう。命令にせよ、行為自体は、戦犯に値するのではないか。
…物語だが「私は貝になりたい」では、良かれと思って、ごぼうを料理して食べさせた、田舎の理容師が戦犯として死刑になった。食べさせられた捕虜は、無理やり木の根を食べさせられたと訴えたからだ。食生活の違いや言葉が通じない。そんなことでも一つの善意が悪意に変わる。
このBC級戦犯問題は、1965年の日韓請求権協定で解決済である。戦時下の、あの狂った世の中で、正しい判断ができた人間などいない。それでも、77年経っても、被害者として生きたいと思うのなら、精神鑑定を先に、中立の立場の第三国でしてもらうべきだ。
【編集 : fa】
今の世界は、第二次世界大戦が起こる直前の雰囲気ととてもよく似ている。ウクライナとロシアの戦争について、自称戦略家が「こうしたら勝てるよ」とSNSで発信している。それでも、日本が有事に巻き込まれたら、専門家の自衛隊(くれぐれも軍隊ではない)にお任せと言うお気軽さだ(素人の我々が戦ってなんになるという言い訳)。
さて、韓国は、いまだ第二次世界大戦及び、日本帝国支配の頃で時が止まっている。止めていると言った方がいいか。その時に、被害にあった事例を挙げては、支配者であった日本に謝罪と賠償金を請求してくる。
それでも、その渦中にあった韓国人は80代後半から100歳前後であり、本人を全面に出して、日本からお金を巻き上げる時間が残り少なく焦っている。
もっと金になるネタはないだろうか。…BC級戦犯になった韓国人を持ち出してきた。戦犯被害者と言うらしい。旧日本軍人として、強制招集され、アメリカをはじめとする連合国軍の捕虜を収容し管理する捕虜監視員としての服務をしていたそうだ。148人がBC級戦犯になり、23人が死刑に処された。
148人全員がオイシイ思いをしたとは思わないが、捕虜に対する理不尽な虐待などを「日本軍人」として喜んで行った者だって皆無ではない。上官に制裁受けるから、仕方なく従ったは、言い訳でしかない。ひもじい思いをしている国民よりも少しは良い食べ物も支給されただろう。命令にせよ、行為自体は、戦犯に値するのではないか。
…物語だが「私は貝になりたい」では、良かれと思って、ごぼうを料理して食べさせた、田舎の理容師が戦犯として死刑になった。食べさせられた捕虜は、無理やり木の根を食べさせられたと訴えたからだ。食生活の違いや言葉が通じない。そんなことでも一つの善意が悪意に変わる。
このBC級戦犯問題は、1965年の日韓請求権協定で解決済である。戦時下の、あの狂った世の中で、正しい判断ができた人間などいない。それでも、77年経っても、被害者として生きたいと思うのなら、精神鑑定を先に、中立の立場の第三国でしてもらうべきだ。
【編集 : fa】