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【コラム】インパール作戦ゆかりの地クンユアム再訪記:1 〜9年ぶりのクンユアム

Global News Asia 2022年8月23日 11時45分

 インパール作戦の出発地であり、敗走してきた兵士たちが命からがらたどり着いた地でもあるメーホンソン県クンユアム。この地にはいくつもの慰霊塔が建てられている。わたしがこの地を初めて訪れたのは2013年。タイの日本語情報誌での特集記事の取材としてだった。そして今回9年ぶりにクンユアムを訪れることができた。日本ともゆかりの深いクンユアムの今についてをここで伝えたいと思う。

9年ぶりのクンユアム

 今回の再訪は、1990年から現地での遺骨収集や里親事業を展開しているNPO慧燈財団を通して、チェンマイとメーホンソンの学生3人の里親をしている友人に同行した。いつもニックネームの「マッサン」と呼んでいる彼は、わたしと知り合う以前からこの制度を利用して、これまで多くの学生の里親となり、毎年8月15日前後に現地を訪ねている。そして、卒業したあとも連絡を取り合うなど、クンユアムと日本を繋ぐ架橋として、実践している。新型コロナの影響で3年ぶりの訪問で、今回初めて会う学生もいたという。

 「自分なんかができることは小さいし限られていますが、わたしが里親になったことで、一人でもその後の人生の礎として、喜んでもらえればいいんです。こうして現地を訪ねて元気な笑顔に会えるのが、毎年最大の楽しみなんです。」マッサンは、柔らかな京都弁で照れながら話してくれた。

 財団のホームページによれば、昨年度に里親支援を受けている学生は現在メーホンソン県とチェンマイ県に155人。この人数が多いか少ないかよりも、こうした活動が27年間も続けられていることは大きく評価されるべきだろう。インパール作戦で命からがら敗走してきた日本兵に対して、怪我の手当てや衣食住を助けてくれたクンユアムの人々には、こうした感謝の形こそがふさわしいと思われる。

 多くの日本人は、タイはもはや中進国と思われていることだろう。バンコク では高架鉄道や地下鉄が走り、大型ショッピングモールが何軒も軒を並べる街並みは、東京にも引け取らないほど。しかし、現実にはバンコクから離れるほどにそのイメージはなくなる。かつて地方に住むタイ人は、バンコクへ行くとき、まるで外国にでも行くかのような身支度をしていた。それは場所によって変わらない。わたし自身も昨年来タイの田舎で暮らして、バンコクのニュースなどを見るとき、まるで外国での出来事のような感覚に陥ったものだし、今でもそんな感覚だ。

 9年ぶりに訪れたクンユアムだったが、町並みはあまり変わっていない印象もあったが、町の中心にはコンビニができていたり、車も増えていたりと時間とともに、発展した様子が見て取れた。そして、慰霊碑のある寺院には新しいモニュメントや仏像が建てられていたり、境内が舗装されて歩きやすくなっていたりと、インフラが整ってきてきれいになった印象だった。山奥と言うこともあり、なかなか観光客も訪れない場所でもある。その分、人々が素朴なままでいたことが何よりも遠くまで来た甲斐を感じた。

 現在、クンユアムにはワット・ムアイトーと日タイ友好記念館、ワット・トーペーの境内。さらにクンユアムからメーホンソンに向かう道端にもあり、と少なくとも4カ所の慰霊塔がある。もっとあった気もするが、わたしが覚えているのはこの4カ所だ。今回の訪問では、道端の慰霊塔以外の3カ所を再訪することができた。その中でも、ワット・ムアイトーとトーペーの慰霊塔を町中の学校に通う学生たちがきれいに清掃してくれているのだが、この話は次回詳しく。
【取材 : そむちゃい吉田】

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