信仰とはいったいなんだろう。宗教法人に所属することが、宗教やっているってことの第一位になるのだろうか。
我が家は曹洞宗(檀家1000を超す)。日本基督教団運営の幼稚園出身。若くして脳梗塞になった親族女性の徳を積むため、一族の女性はとりあえず彼女が信仰していた法人に入信したが、毎月の月謝(寄進? )600円支払っただけ~教祖が亡くなって各派閥に分裂したので、名簿的にはどこかに所属しているかも(引っ越したので、連絡が来ない)。
仏壇も墓もあるので参って手を合わせる。たまに日曜礼拝にも行く。何教なのだ、我は。
モルモン教は、「英語を教えます」ってとこから、中学生高校生を開拓していくね。
学ぶ会は、帰り道の交通網が分からないとこまで連れて行って、回る仏壇見せながら、ここで入信書を書け! と迫るね(東日本大震災の被災地なので、文化会館に避難民が集まったけど、入信しなければ食べ物を上げない作戦があった)。
手かざしも各派あって、その道場に行くと、毎回100均の白い新しい靴下に履き替えて神様に向き合うけど…100均ってそういう意味で宗教法人と付き合いがあるのか。
電波姉妹で、今日悩みを打ち明けたら、明日世界中の信者の祈りの課題になっている場合もある。
エホバは、神様やイエス様を「エホバ神」といちいち言い直させるとこが面倒くさいね。「あなたはなんで入信したのですか」と聞いたら「姑との関係に悩んでいて」「エホバの論理からすると、すべての人が食料の心配のない楽園に行けるってことですが、あなたの嫌いな姑もそこにいるんですよね?」と返したら、青い顔して帰って行ったことがある。
あと、エホバは一人と話すと、翌日二人来て、翌々日四人来て、倍々になって、最終的にマイクロバスでお話にくる怖いことになる。輸血に関しては、手術の前に、落花生の皮を毎日10個分1週間食べると輸血にならなくっていいって教えてくれたのは、助かったけど。
幸せになる学問のとこは…なぜ隠れながらリーフレットを郵便受けに投函するのか。人に見られてはダメなのか。そして、信者と知らずに泊まったら、お土産~と全20冊渡された(ソファーの中に押し込んだ)。とりあえず1冊漫画編読んで、自分の祖父母のいる村のグレードがいいですうと言ったら、より神に近くなりたくないのかと夜通し説教された。
宗教法人じゃないけど、津軽の神様とか各地の神様 を作って、バラエティで拝み屋スターを作る。だけど、そんな人に、本当に拝んでもらいに行くと、テレビとは違って、髪はぼさぼさ化粧っ気なくて、ちゃんと拝まない。
拝み屋さんと呼ばれる神様は、あれ記憶力の問題ではないかな。長い客になってくれる嫁に「あなたは苦労しているね」と言った方がリピーターになる。リピーターの家族構成を把握していると当たりとなる。ただ…お礼が昭和時代バナナだったところが、ある意味、本当の神様なんだろうか。
神様は、本当に救ってくれる神様は、お金を求めない。ちゃんと見ていてくれて、深くても浅くても、その信心という生き方の指針を示し、それが幸せになるのでは。
偶像崇拝を嫌がる神様もいるけれど、形がないと手を合わせられないという方もいるので、そこはフラットでいいかな。
宗教法人って、そんなに憎いのか、何が憎いのか、今まであった仏壇を持って来させて、みんなで揃ってぶち壊してお炊き上げする。その意味はなに?
仏様は…先祖がいなければ今の自分もいないわけで、それは戸籍を遡って調べれば済む。家系図自分で調べて作るとはっきりするよ。戸籍謄本と除籍謄本を役場で取得すればいい。すると、戸籍にない水子とか先祖の祟りとか、子孫にそんなことする仏様がいるとは思えなくなる。先祖が愛おしくなる。
全財産差し出せと言う宗教、いや、商売はおかしい。昭和天皇でさえ、現人神をやめたというのに、自分を神と呼べなんて、いったいなにさま? 人種差別もしてるよね。宗教法人作って、金集めて、カーストとかステータス制度なんかで信者分けて、群れてなにがしたいというのだろう。そこに信心は本当にあるのだろうか。もっと課税が必要かも。
朝目が覚めた時、お日様に「今日も目覚めさせてくださってありがとうございます」。眠る瞬間に「今日も、いちにちありがとうございました」。そんな信心でも、神様仏様は受け取ってくれる。宗教とは、元々、貧しいなにもない者の祈りなのだから。
イエス様の前でも、お釈迦様の前でも、人は平等。信仰もまた、平等~今は、秋のお彼岸。
【編集 : fa】
我が家は曹洞宗(檀家1000を超す)。日本基督教団運営の幼稚園出身。若くして脳梗塞になった親族女性の徳を積むため、一族の女性はとりあえず彼女が信仰していた法人に入信したが、毎月の月謝(寄進? )600円支払っただけ~教祖が亡くなって各派閥に分裂したので、名簿的にはどこかに所属しているかも(引っ越したので、連絡が来ない)。
仏壇も墓もあるので参って手を合わせる。たまに日曜礼拝にも行く。何教なのだ、我は。
モルモン教は、「英語を教えます」ってとこから、中学生高校生を開拓していくね。
学ぶ会は、帰り道の交通網が分からないとこまで連れて行って、回る仏壇見せながら、ここで入信書を書け! と迫るね(東日本大震災の被災地なので、文化会館に避難民が集まったけど、入信しなければ食べ物を上げない作戦があった)。
手かざしも各派あって、その道場に行くと、毎回100均の白い新しい靴下に履き替えて神様に向き合うけど…100均ってそういう意味で宗教法人と付き合いがあるのか。
電波姉妹で、今日悩みを打ち明けたら、明日世界中の信者の祈りの課題になっている場合もある。
エホバは、神様やイエス様を「エホバ神」といちいち言い直させるとこが面倒くさいね。「あなたはなんで入信したのですか」と聞いたら「姑との関係に悩んでいて」「エホバの論理からすると、すべての人が食料の心配のない楽園に行けるってことですが、あなたの嫌いな姑もそこにいるんですよね?」と返したら、青い顔して帰って行ったことがある。
あと、エホバは一人と話すと、翌日二人来て、翌々日四人来て、倍々になって、最終的にマイクロバスでお話にくる怖いことになる。輸血に関しては、手術の前に、落花生の皮を毎日10個分1週間食べると輸血にならなくっていいって教えてくれたのは、助かったけど。
幸せになる学問のとこは…なぜ隠れながらリーフレットを郵便受けに投函するのか。人に見られてはダメなのか。そして、信者と知らずに泊まったら、お土産~と全20冊渡された(ソファーの中に押し込んだ)。とりあえず1冊漫画編読んで、自分の祖父母のいる村のグレードがいいですうと言ったら、より神に近くなりたくないのかと夜通し説教された。
宗教法人じゃないけど、津軽の神様とか各地の神様 を作って、バラエティで拝み屋スターを作る。だけど、そんな人に、本当に拝んでもらいに行くと、テレビとは違って、髪はぼさぼさ化粧っ気なくて、ちゃんと拝まない。
拝み屋さんと呼ばれる神様は、あれ記憶力の問題ではないかな。長い客になってくれる嫁に「あなたは苦労しているね」と言った方がリピーターになる。リピーターの家族構成を把握していると当たりとなる。ただ…お礼が昭和時代バナナだったところが、ある意味、本当の神様なんだろうか。
神様は、本当に救ってくれる神様は、お金を求めない。ちゃんと見ていてくれて、深くても浅くても、その信心という生き方の指針を示し、それが幸せになるのでは。
偶像崇拝を嫌がる神様もいるけれど、形がないと手を合わせられないという方もいるので、そこはフラットでいいかな。
宗教法人って、そんなに憎いのか、何が憎いのか、今まであった仏壇を持って来させて、みんなで揃ってぶち壊してお炊き上げする。その意味はなに?
仏様は…先祖がいなければ今の自分もいないわけで、それは戸籍を遡って調べれば済む。家系図自分で調べて作るとはっきりするよ。戸籍謄本と除籍謄本を役場で取得すればいい。すると、戸籍にない水子とか先祖の祟りとか、子孫にそんなことする仏様がいるとは思えなくなる。先祖が愛おしくなる。
全財産差し出せと言う宗教、いや、商売はおかしい。昭和天皇でさえ、現人神をやめたというのに、自分を神と呼べなんて、いったいなにさま? 人種差別もしてるよね。宗教法人作って、金集めて、カーストとかステータス制度なんかで信者分けて、群れてなにがしたいというのだろう。そこに信心は本当にあるのだろうか。もっと課税が必要かも。
朝目が覚めた時、お日様に「今日も目覚めさせてくださってありがとうございます」。眠る瞬間に「今日も、いちにちありがとうございました」。そんな信心でも、神様仏様は受け取ってくれる。宗教とは、元々、貧しいなにもない者の祈りなのだから。
イエス様の前でも、お釈迦様の前でも、人は平等。信仰もまた、平等~今は、秋のお彼岸。
【編集 : fa】