韓国で、大東輿地図が、国立古宮博物館で展示される。3月に日本から「取り戻した」ものだ。
東輿図は、23糾(より合わせの意味)からなる朝鮮の古地図の一つ。木版画として18736個あった。が、今回公開されている「大東輿地図」は、19世紀(1856年~1864年)にかけて刷られた13188余りの中の一つと見られる。
大東輿地図の上に、東輿図のデータを手書きで加えた一品ものだ。作者は地理学者の金正浩と言われている。ただ、金は自分だけの作品だと権威付けができないと思ったか、序文として「金百源(朝鮮王朝の一人)に委嘱して作らせた」とも書いている。が、地図標が独特過ぎて、また筆跡も正浩のものであり、彼の作品だと推測される(19世紀時点では、筆跡鑑定などが行われる未来が来るとは思わなかったらしい)。
大きさは、横20センチ、縦30センチの複数の冊子から構成されている。すべてを広げて並べると、横3.3メートル、縦6.7メートルの巨大地図になる。
木版画の限界を、手書きを加えることにより、より朝鮮という国がわかりやすくなったと博物館関係者は語る。しかし、長らく日本にあったとするならば、いくら筆跡が同じだとしても、憎っくき日本人の落書きが加えられているかもしれない…そういう想定は、日本からぶんどった事実のみだけで検証しないのが韓国「らしい」。
【編集 : fa】
東輿図は、23糾(より合わせの意味)からなる朝鮮の古地図の一つ。木版画として18736個あった。が、今回公開されている「大東輿地図」は、19世紀(1856年~1864年)にかけて刷られた13188余りの中の一つと見られる。
大東輿地図の上に、東輿図のデータを手書きで加えた一品ものだ。作者は地理学者の金正浩と言われている。ただ、金は自分だけの作品だと権威付けができないと思ったか、序文として「金百源(朝鮮王朝の一人)に委嘱して作らせた」とも書いている。が、地図標が独特過ぎて、また筆跡も正浩のものであり、彼の作品だと推測される(19世紀時点では、筆跡鑑定などが行われる未来が来るとは思わなかったらしい)。
大きさは、横20センチ、縦30センチの複数の冊子から構成されている。すべてを広げて並べると、横3.3メートル、縦6.7メートルの巨大地図になる。
木版画の限界を、手書きを加えることにより、より朝鮮という国がわかりやすくなったと博物館関係者は語る。しかし、長らく日本にあったとするならば、いくら筆跡が同じだとしても、憎っくき日本人の落書きが加えられているかもしれない…そういう想定は、日本からぶんどった事実のみだけで検証しないのが韓国「らしい」。
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