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【フィリピン】飢餓ゼロプロジェクトについての考察1・教育と貧困

Global News Asia 2023年7月1日 7時0分

 マルコス大統領が就任2年目に推し進める飢餓ゼロプロジェクトは、段階的に適応範囲を拡大して2027年までに運用システム構築を完成させるというものだ。最終的には貧困層を大幅に減らすことを目標としている。しかし、それは発展途上国に共通した課題でもあり、問題解決に取り組んでいない国はないといってもいいだろう。その中でなぜフィリピンで今回のプロジェクトが打ち出されたのだろうか。

アセアンのお荷物
 かつてのフィリピンは、1980年代以降近隣のASEAN諸国が大きく経済成長を実現するなか長らく低成長を続け「アジアの病人」と揶揄された時代があった。この飢餓ゼロプロジェクトがフィリピン国会で審議された2020年の時点で貧困率は約23%。これでも2000年以前と比べると大幅に減っているように思えるが、わたし個人は、1990年頃に何度かフィリピンを旅行している。その頃、マニラ郊外のゴミ集積場「スモーキーマウンテン」とそこでゴミを拾い集めて、生計を立てる子ども達が世界的にも話題になり、問題視されていた。しかし、その一方でマカティー地区にビジネス街が整備され、外国企業が次々とオフィスを構えていた時代でもある。その波及効果として、中産階級が生まれ、急激に増加し始めていた。しかし、その頃のフィリピンの主な収入源は国外からの仕送りが少なくない比率で占められており、日本にもジャパユキと呼ばれた出稼ぎ女性たちが、日本中のフィリピンパブなどに溢れていた。

 フィリピンも市場経済国家の一員として国体を維持していたものの、時のマルコス(父)大統領が富の独占をし、そのことが1986年に直接的な市民革命「エデゥサ革命」を引き起こした。その結果、制度としての民主主義を定着されることには成功した。このことは市場経済にも好影響をもたらし、その後の発展の原動力にもなった。それでもなお、貧困問題が残っている現実は、すぐに解決できる問題ではないことは、世界のあちこちで様々な形で行われている支援対策からも容易に察しがつく。

教育と貧困
 話は逸れるが、わたしは1999年にタイのバンコクへ移住した。その頃に気がついたことがある。それはある年齢層によって仕事に取り組む姿勢が違っていたことだ。年齢的には30才くらいを境に上の年齢の人々は、仕事に対していい加減で、時として集金したお金をそのまま持ち逃げするような事件も少なくなった。しかし、30才以下の若年層は、真面目にしっかりと仕事をこなす姿勢の人が増えていた。その原因としてわたしが推察したのが教育の普及だ。タイでは1977年以前の義務教育は小学校4年間だけだった。その後、6年間、9年間と拡充され、現在では幼稚園と小学校の初等教育9年間と中学、高校にあたる中等教育6年間の計15年間が義務教育とされ無償で提供されている。この教育改革の中で中学までが無償化され、義務教育とされて以降の年代の人々が、先述した30才という年代の分け目に一致していた。

 フィリピンの教育制度は現在、2013年に行われた制度改革により義務教育期間が12年間(幼稚園1年間、小学校6年間、中学校4年間、高校2年間)になった。それ以前は、初等教育(小学校、中学校に相当)が6年+4年の10年間であった。しかし、タイにも同じ問題があったのだが、保護者たちが教育の意味と重要性を理解していなかったために、収入を得るために小学校の卒業も待たずに、働き手とされてしまっていた。タイでは義務教育の拡大とともに親世代の理解も深まったために、ほとんどの子どもたちが中学校を卒業するに至っており、高校への進学率も飛躍的に上がった。フィリピンでも同様の現象が起きているものの、学歴を必要とする仕事がマニラや主要都市などに偏在していることも大きな足かせになっている。

 しかし、フィリピン人自身の素養は1980年代の頃から高く評価されている一面がある。ある日系企業では事務職に4〜5名の会計士資格を持った社員がいたなど、他の国ではなかなかあり得ない状態にあった。とはいえ、貧困層のフィリピン人がそこ抜け出すには、学歴が必要なことも現実であり、お金がないから高等教育を受けられない>学歴がないからいい仕事に就けないという負のサイクルにもなっている。そのサイクルを打ち破ることがこのプロジェクト最大の目的ともなる。
【執筆 : そむちゃい吉田】

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