2024年4月6日、タイの田舎で行われた得度式に参加して来た。日中の最高気温40度を超える中で行われたタイの伝統儀式について、その時の模様をレポートする。
今回、得度式が行われたのは、私の妻の実家でタイ中部のサラブリー県。妻は5人姉妹で、今回3女の息子が出家する。そこで、私も手伝いを兼ねて参加することにしたのだ。タイ人男子にとって、出家は一生に一度はするべきとされ、人生で最大の親孝行ともなる重要なイベントだ。そのため、普段は離れて暮らす親族のほとんどが前々日の4日夜には揃っていた。出家の方法はいくつかあるそうで、私自身も一度髪を剃ったことがあるのだが、そのことについてはまた後日、別の機会にしよう。
家の敷地に簡易の日除けテントが張られ、大型の扇風機が何台かフル稼働している。この数日タイではバンコクのある中部から東北、北部にかけて、連日日中の気温は38度から40度を超えるという酷暑が続いていてタイ気象庁からも高温警報(注意報ではなく! )が発せられていた。この日も体感気温では45度くらいになりそうな中で、来客用のテーブルを設置したり、振る舞うための料理の下準備が行われてた。
4月4日に着いていた私は、前日5日の早朝、まだ夜も明けない午前4時頃に大音響で叩き起こされた。見るとトラックの荷台に設置された大型スピーカーから、大音量で音楽が流されている。それがまだ準備の前日から丸一日流された。しかし、近所から苦情などは来る事はない。誰もが見知った仲であり、自分の所でも同じ事をすることもあるのだからとわかっていて、誰も文句言うものはいない。許し合い、認めあい、そして、助け合う。人間にとって大切なことが、当たり前のこととして今に息づいている。
得度式当日
6日の得度式当日も、前日に続いて午前4時に大音響で叩き起こされた。揃っていた家族親族も眠い目をこすりながら、参列者を迎える準備を始めていた。ポツポツと祝いに来た村人たちが揃った午前7時頃に、出家する当人が登場。彼自身は、前日から余計な雑事などする事を禁じられ、ほとんど自室に籠っていたようだ。両親や年長の親族に感謝の儀式を済ませると、剃髪が始まる。集まった人々が少しずつ髪を切っていく。全員が切り終わると、カミソリで短くなった髪を剃り落とすのだが、気がつけば彼の頭から血が滲んでいる。どうやら、カミソリの扱いが乱暴だったのか、何ヶ所か切ってしまったようで、見ていて痛々しかったが、すぐにキズ薬が塗られていたので、安心した。
最後は眉毛まで剃られた彼は、白い正装に着替えた頃に一人のお坊さんが到着した。参列者たちは、振る舞われた料理とお酒、そして陽気な音楽を聴き始めた頃、家の中では両親と身近な親族だけでお坊さんの読経と説教を聞く。その声は、外にもスピーカーで流されているが、あまり聞いている人はいない。
お坊さんは、ひと通りの読経と説教を終え、食事を済ませて寺に戻って行った。それと入れ替わるように「ロッヘー」と呼ばれるドラムやキーボード、そしてスピーカーを台車に積んだ楽団が、これまた大音響で演奏を始める。はじめは食事とおしゃべりをしていた参列者たちは、お酒が入ってきた事もあって、一人また一人と踊り出した。時計を見ると午前9時過ぎ。例年よりも気温が高いタイだが、午前中はまだ凌げる範囲だ。踊り手も少しずつ増えて、最後にはまだ小学校に上がったばかりの小さな子どもたちも一緒に踊っていた。
昼12時頃に楽団の生演奏が終わり、ひと時の静けさが戻った。しかし、それも長くは続かず、この後はお寺に移動する旨の案内がされると、また大音量で音楽が流れる。楽団が昼食を終えた13時頃に、親族と参列者は何台かの車に分乗してお寺に移動するのだ。その頃には、気温も40度、体感気温にして45度にもなっていたが、移動の間と寺に着いてからの光景にまた驚かされることになる。
後編に続く
【取材 : そむちゃい吉田】
今回、得度式が行われたのは、私の妻の実家でタイ中部のサラブリー県。妻は5人姉妹で、今回3女の息子が出家する。そこで、私も手伝いを兼ねて参加することにしたのだ。タイ人男子にとって、出家は一生に一度はするべきとされ、人生で最大の親孝行ともなる重要なイベントだ。そのため、普段は離れて暮らす親族のほとんどが前々日の4日夜には揃っていた。出家の方法はいくつかあるそうで、私自身も一度髪を剃ったことがあるのだが、そのことについてはまた後日、別の機会にしよう。
家の敷地に簡易の日除けテントが張られ、大型の扇風機が何台かフル稼働している。この数日タイではバンコクのある中部から東北、北部にかけて、連日日中の気温は38度から40度を超えるという酷暑が続いていてタイ気象庁からも高温警報(注意報ではなく! )が発せられていた。この日も体感気温では45度くらいになりそうな中で、来客用のテーブルを設置したり、振る舞うための料理の下準備が行われてた。
4月4日に着いていた私は、前日5日の早朝、まだ夜も明けない午前4時頃に大音響で叩き起こされた。見るとトラックの荷台に設置された大型スピーカーから、大音量で音楽が流されている。それがまだ準備の前日から丸一日流された。しかし、近所から苦情などは来る事はない。誰もが見知った仲であり、自分の所でも同じ事をすることもあるのだからとわかっていて、誰も文句言うものはいない。許し合い、認めあい、そして、助け合う。人間にとって大切なことが、当たり前のこととして今に息づいている。
得度式当日
6日の得度式当日も、前日に続いて午前4時に大音響で叩き起こされた。揃っていた家族親族も眠い目をこすりながら、参列者を迎える準備を始めていた。ポツポツと祝いに来た村人たちが揃った午前7時頃に、出家する当人が登場。彼自身は、前日から余計な雑事などする事を禁じられ、ほとんど自室に籠っていたようだ。両親や年長の親族に感謝の儀式を済ませると、剃髪が始まる。集まった人々が少しずつ髪を切っていく。全員が切り終わると、カミソリで短くなった髪を剃り落とすのだが、気がつけば彼の頭から血が滲んでいる。どうやら、カミソリの扱いが乱暴だったのか、何ヶ所か切ってしまったようで、見ていて痛々しかったが、すぐにキズ薬が塗られていたので、安心した。
最後は眉毛まで剃られた彼は、白い正装に着替えた頃に一人のお坊さんが到着した。参列者たちは、振る舞われた料理とお酒、そして陽気な音楽を聴き始めた頃、家の中では両親と身近な親族だけでお坊さんの読経と説教を聞く。その声は、外にもスピーカーで流されているが、あまり聞いている人はいない。
お坊さんは、ひと通りの読経と説教を終え、食事を済ませて寺に戻って行った。それと入れ替わるように「ロッヘー」と呼ばれるドラムやキーボード、そしてスピーカーを台車に積んだ楽団が、これまた大音響で演奏を始める。はじめは食事とおしゃべりをしていた参列者たちは、お酒が入ってきた事もあって、一人また一人と踊り出した。時計を見ると午前9時過ぎ。例年よりも気温が高いタイだが、午前中はまだ凌げる範囲だ。踊り手も少しずつ増えて、最後にはまだ小学校に上がったばかりの小さな子どもたちも一緒に踊っていた。
昼12時頃に楽団の生演奏が終わり、ひと時の静けさが戻った。しかし、それも長くは続かず、この後はお寺に移動する旨の案内がされると、また大音量で音楽が流れる。楽団が昼食を終えた13時頃に、親族と参列者は何台かの車に分乗してお寺に移動するのだ。その頃には、気温も40度、体感気温にして45度にもなっていたが、移動の間と寺に着いてからの光景にまた驚かされることになる。
後編に続く
【取材 : そむちゃい吉田】