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日本バドミントン界の歴史を変えた銅メダル 東野有紗「母は私のわがままや迷惑に付き合ってくれた」パリに響いた母のエール 地元・岩見沢市の兄「誇りです」

北海道放送 2024年8月5日 20時26分

日本バドミントン界の歴史を変えたワタガシペア。オリンピック2大会連続でメダルを獲得しました。

コートに倒れこんだ東野選手とともにパリで涙を流したのは、母・洋美さんでした。

小学1年生で競技を始めた東野選手。

性格は、とにかく負けず嫌い。

年上の男子選手と一緒にその技術を磨いてきました。

徐々に頭角を現すと、中学からは北海道外のバドミントン強豪校に進みます。

父と兄は北海道岩見沢市に残り、母と娘は2人で福島へ。

家族離れ離れの生活の中夢への道のりを支え続けてきたのが洋美さんでした。

東野有紗(28)
「(母は)自分の好きなことを何もせず、私のわがままや迷惑につきあってくれた。金メダルを首にかけてあげられるように頑張りたい」

母・洋美さん
「勇大!有紗!」

母への恩返しを胸に。

準決勝。

母・洋美さん
「有紗からごめんと連絡きて。謝る必要ないよ、ここにつれてきてくれただけで十分と連絡した。」

そしてパリオリンピック最後の一戦。

母・洋美さん
「大丈夫よ!(メダルを)取るよ!」

会場の洋美さんだけでなく地元・岩見沢市からは兄・聖也さんが背中を押します。

ミスをしても東野選手には笑顔が。

家族と共に最後まで全力で戦います。

兄・聖也さん
「誇りです、おめでとうとお疲れ様と伝えたい」

東野有紗(28)
「勇大君には一番感謝を伝えたいですがお母さんにも伝えたい。声が聞こえてすごく嬉しかった。3位決定戦の前にお母さんと電話して、2人で楽しんできてくれることが自分の一番の幸せだからと言ってくれて本当に嬉しかったし、準決勝は楽しめていなかったので最後思いきって頑張ろうとお母さんのおかげで背中を押してもらった」

母・洋美さん
「何とか頑張って楽しんでやれるか心配だったがとってもとっても楽しんで試合をしていた。実際にこの目でパリで応援できてすぐに『勝ったよ』ときてくれてまたすぐにメダルをかけにきてくれた。オリンピックで勝ったなという気持ちを味わえたパリ五輪でした。2大会連続銅メダルとってくれてありがとう」

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