日本一周に挑戦中、2024年はゴールできるでしょうか?
中 環さん
「まだ10kmだけど、走れているのが信じられない」
車いすで日本一周に挑戦している、札幌市在住の中環(なか たまき)さん、52歳。
15年前の交通事故で,車いす生活を余儀なくされましたが、これまで3年間、車いすでの移動で沖縄、四国、九州一周を達成。
そして10月8日、兵庫県と中国地方1,178kmの挑戦をスタートさせました。
もんすけ調査隊では、初日に密着し紹介しましたが、その後挑戦はどうなったのでしょうか?そして、無事ゴールできたのでしょうか?
足取りを追いました。
中 環さん
「悔しいけど…今回はこれが自分の精いっぱいかな」
一体、何があったのでしょうか?過酷な挑戦には大きな波乱が待ち受けていました。
10月12日。スタートから4日で143kmを走り、順調そうに岡山県に入った中さんでしたが、今回の挑戦、直前まで迷っていました。
中 環さん
「思いのほか気持ちが落ちて、今回のチャレンジは止めようって。止めようと思った。止めようと思ったけど…」
実は中さん、12年間苦楽を共にした、介助犬の「ファーガス」を7月に亡くしていたのです。
出発までの2か月半、まともな食事ができず、生きる気力を失っていたといいます。
長女の中 岬さんからはLINEで「3日に1回吐いて、過去一辛そうです」と報告も。
その反動もあり、挑戦中も食事をしては、おう吐を繰り返し、体は悲鳴を上げていたのです。
それでも愛犬ファーガスとの約束を守るため、前に進もうとしますが…。
カメラマン
「あ!転倒した!大丈夫かな」
小さな段差でも転倒してしまうほど、注意力が低下し危険な状態に。
そんな”家族”の死を抱えた中さんは、挑戦中に立ち寄った広島県の原爆ドームで、生と死について深く考えたといいます。
中 環さん
「自分が死ぬんだということを知らないで亡くなった方。戦後79年経っても苦しんでいる人はいるのよ。走っている最中に『今生きてるよね?』と思うときがある。『いなくなりたい』と思って、つらくてつらくてしかたなくても、1日待ってほしい。生きててほしい」
苦しみながらも歩みを進める中さんを支えたのが、沿道からの声援でした。
山口県民
「すごいなと思った。健常者でもしないことを、ハンデあってもするのは、すごいなと思う」
中 環さん
「障害のあるなしに関係なく、年齢も関係なく、私も『頑張ってやってみよう』とか、いろいろな思いを抱いてくれるなら、もう少し頑張って走ろうと思う」
ただ、山口県を出る頃には、予定より1日以上も遅れていたのです。
スタートから20日、疲労と体調不良は限界に達し、ついに弱音を吐きました。
中 環さん
「自分の体力不足や、精神的な部分で、今回は初めてゴールは無理かもしれないって」
それでも、中さんは歩みを止めることはありませんでした。
島根県と鳥取県、253キロkmを9日間で走破!
しかし、最終日の2日前、中さんから衝撃のメッセージが届きます。
中 環さん
「ドクターストップの体重をかなり切ってしまったから、サポーターと相談中」
中さんに、いったい何が起こったのでしょうか?
中 環さん
「ゴールの日を1日延ばそうと思ったんだけど、今の体重でこぎ続けるのは危ないということがあって、コースを変えて行けるところまで行こう。それで今回はゴールにしようと思います」
毎日の過酷な挑戦で、医師から警告されていた体重を下回り、このまま走り続けることは危険だと判断されたのです。
そこで予定のコースを、残り30kmにショートカットし、それでも走り切れなければ、そこで終了という苦渋の決断をしたのでした。
ここで、目指していた1,000キロ走破の夢は絶たれ、悔しさと無念さが心を締め付けます。
中 環さん
「悔しいけど…今回は、これが自分の精いっぱいかな」
そして迎えた最終日の朝、横殴りの雨と、容赦なく吹き付ける向い風が、行く手を阻みます。
それでも中さんは決して諦めません。土砂降りの雨を切り裂き、車輪を回し続けますが…。
中 環さん
「グローブでブレーキができないから、ずっと握ってなきゃいけないから、手がつる」
激しい雨と風の中で、中さんの手はブレーキをかける力さえ失いかけていました。
しかし、そんな辛い状況も長くは続きませんでした。
スタートから3時間、青空が顔を出したのです。
中 環さん
「『最後の最後まで試練だね』というくらいの雨が降ったでしょ。その後の見て、この青空。うれしくなっちゃうじゃん。嫌なことって、うれしいことを増やしてくれる要素だね」
苦難を乗り越えた中さんは、再び輝きを取り戻します。
さらに走り続けること4時間半。
調査員
「いよいよラストランですが、どうですか?」
中 環さん
「いちばんつらかった。今回初めて思ったのが、初めて、『自分は頑張ってるな』って。自分を褒めたい」
雨風に負けず、いつも以上に速く漕ぎ続けた結果、ゴールまであと4kmの地点にまで到達したのです。
日没まであとわずか。暗い山道を抜け、中さんは進み続けます。
そして暗闇が迫る中、兵庫と京都の県境を越え、ゴールまであとわずか…。
調査員
「今、環さんの姿が見えました。環さんが来ました。環さんゴールです!」
11月5日午後5時34分。29日間を走り切り、環さんは見事にゴールしました!走行距離は865km!
本来の目標距離には届かなかったものの、中さんは過酷な挑戦をやり遂げました。
中 環さん
「何もできないって言うけど、できるのよ、生きていたら。別に1,000km走らなくてもいいじゃん、100mでもいいじゃん。それでも走っているんだもん。何でもできるよ。楽しいよ、生きてるって」
目標に向かって諦めず、チャレンジを続ける中さん。その姿に多くの人たちが勇気をもらっています。
調査結果です。
中さんは、無事、兵庫と中国地方、車いすで865キロを制覇しました!
2025年は、体重を増やし、近畿地方に挑戦する予定だということです。