自らのからだを通し、差別や争いのない社会を訴える女性がいます。長年、障害者運動にたずさわってきた安積遊歩さん68歳と、介助してきた若者たちです。「助けあい分かちあう社会の先に、平和がある」彼女たちが発するメッセージです。
札幌市清田区に住む安積遊歩(ゆうほ)さん68歳と、介助者の安寿(あんじゅ)さん29歳です。
・安積遊歩さん(68)
「助けあい分かちあい尊重し合って、ともに生きるために私たちは存在する」
遊歩さんは生まれつき骨が弱く、10人ほどがチームとなって交代で生活の介助に入ります。
介助者のほとんどが、20代の女性たちです。
小学5年から中学1年の途中まで親元を離れ、施設で暮らしていた遊歩さん。
19歳で障害者運動に出会い、かつてはまったく整備されていなかった駅のバリアフリー化にも力を尽くしてきました。
・安積遊歩さん(68)
「『優生思想』という命に価値づけがあるんだと。美もそうだし、生産性もそうだし。存在そのものが正しくて存在している一点で、大事というのがこの社会にないんだ」
1948年に成立した優生保護法。強制的な不妊手術により、遺伝性の疾患や障害がある人たちの「子どもを産む権利」を奪いました。
遊歩さんは、1994年にエジプトで開かれた国際会議で、この問題を訴え、2年後に優生保護法は廃止されました。
・安積遊歩さん(68)
「子宮をとられた仲間たちが、ずらっと(心の中で)後ろにも横にもいてくれる気持ちはあった」
優生保護法が廃止された年に、遊歩さんは40歳で長女の宇宙(うみ)さんを出産。
同じ障害がある宇宙さんの存在を、「同志」だと話します。
・安積遊歩さん(68)
「生きることは、喜びだと彼女から学んだからね」
長女の宇宙さんはいま、ニュージーランドの大学院で、知的障害がある人たちの社会福祉について研究しています。
遊歩さんとは、週に何度かオンラインでやり取りします。
・安積遊歩さん(68)
「どうしてるかなとか、きょうも骨折しないで無事に生きたかなとか」
・長女の宇宙さん(28)
「自分より遊歩のほうが心配ではある。でもよかったね、そうやって心配しあえるっていいじゃないか」
そして2024年7月、最高裁判所はようやく旧優生保護法のもとで行われた強制不妊手術をめぐる国の賠償責任を認めました。
10月には、パレスチナ自治区ガザにイスラエルが軍事侵攻して1年を迎えました。
即時停戦を求める集会の呼びかけ人は、遊歩さんの介助に入る安寿さんです。
安寿さんが介助を始めて1年半ほどが経ちます。
・介助チームの安寿さん(29)
「やってあげるというより一緒にやるんだけど、呼吸を合わせて一緒にやるみたいな。手を取り合う練習を介助を通してできたことで違う場面でもできるようになっている。それをみんなができたらすごい『平和』になるのになと思う」
・介助チームのチッチさん
「梅ニンニクと梅しょうが」
遊歩さんと、遊歩さんの生活を介助するチームの1人、チッチさん29歳です。2人は知り合って、10年ほどになります。
11月17日、札幌市北区である集会に、遊歩さんは2人の別の介助者とともにやってきました。
チッチさんがこの日スタッフをつとめたのは、「道警ヤジ排除問題」の最後の報告集会。
2019年の参院選で、当時の安倍総理にヤジを飛ばした市民2人を警察が排除しました。
・当時の映像「安倍やめろー!」
2024年8月、「排除は違法」とする判決が確定した原告の桃井希生さん29歳。
桃井さんもかつて、遊歩さんの介助に入っていた仲間の1人です。
・桃井希生さん(29)
「表現の自由の話しは、そこからいろんな問題につながっていく。私でいえば労働問題、ジェンダー問題を解決したいために表現の自由は必要」
・安積遊歩さん(68)
「とにかく大きな声を上げ続けることを小さなからだでも、やり続けようって思った。そういうことを伝え続けていく仲間ができたと思う」
チッチさんは、桃井さんとミャンマーの民主化などについて活動する下郷沙季さん34歳と、3人暮らしです。
・下郷沙季さん(34)
「ストレスを1日の終わりには解消できる。帰って2人がいない時に『あーっ!』となっちゃう」
・チッチさん(29)
「わかる私も」
・下郷沙季さん(34)
「きょうイラつくことあったのに!って」
下郷さんは、デモに参加する前、遊歩さんからかけられた言葉が印象に残っているといいます。
・下郷沙季さん(34)
「もし捕まって友達を売るように言われたら絶対に自分(遊歩)を売れって。仲間を守るとかこの運動を成功させるじゃなくて『この運動よりもあなたが大事だよ』みたいな」
介助する側と、される側。「上下」ではなく、「対等」な関係をつなぎあう。チッチさんの心にも刻まれています。
・チッチさん(29)
「遊歩さんとのケンカの内容は本当に親子みたい。『何々しなさい』『いや私はこれがしたい』みたいな。でもそれを自分の仕事の利用者(の遊歩)としているというのがすごく面白い。日々重度の身体障害の人と一緒にいて、手を離さないこと、1回できた関係を絶対に手放さないことが私の中で社会運動している感覚があって」
遊歩さんは、動物由来の食べ物を口にしないヴィーガン。障害がある人たちへの差別と畜産動物が置かれている状況が似ていると感じているからです。
この日は、遊歩さんの家に介助の仕事をしている道外の友人などが集まりました。
・遊歩さん
「(日本全国に友達がいますね?)そうだね。名前と住所を聞いていたら、世界中に友達がいた」
どんな人も赤ん坊として生まれ、人の手を借りて育ち、老いてまた、人の手を借りていく。
競争や効率ではない、助け合い見守り合う関係の大切さを、遊歩さんはこれからも自分のからだを通し、伝え続けます。