北海道旭川市で駄菓子店を営む、三谷悦子さん74歳。
広さ13畳ほどの店内…「うまい棒」、「ココアシガレット」、「コインチョコ」昔懐かしい駄菓子がずらりと並んでいます。
今から69年前に、義理の父親=晃さんが始めた三谷商店。
最初は、味噌や醤油、タバコや酒類などを取り扱っていましたが、店に立ち始めて以降、ある言葉をきっかけに駄菓子を置き始めるようになりました。
三谷悦子さん(74)
「40年ぐらい前から駄菓子置くようになった。町内に子どもがちらほらいて、お姉ちゃんが『駄菓子を置かないの?』って」
平日の学校終わりに、土日に親と一緒に、部活終わりに、様々な年代の子どもたちが、駄菓子を求めて店に集まるようになりました。
常連客は、親しみを込めて…「おばん」と呼んでいます。
そんなおばんが作った211冊のノート。
中には子供たちの写真と名前がびっしりと。
この店の歴史です。
三谷悦子さん(74)
「いろんなところから来てる子どもが写っていて、見てくれたら喜んでくれるじゃないかなと思ってやってました」
今はインスタグラムで来客の記録をつけるのがおばん流です。
三谷悦子さん(74)
「いま30歳ぐらいになる子が高校生のときにみんなインスタやってるって言うの。そのときは高校生のすることに興味があって、インスタしたいって言って登録してもらった。時代に遅れたくない」
500人以上を記憶してきたおばんも今年で75歳。
ある決断をしました。
旭川市に今も残る駄菓子店の店主、三谷悦子さん。
みんなからは「おばん」と呼ばれています。
74歳のおばんは、今年で店に立ち始めて50年目。
衰えを感じています。
三谷悦子さん(74)
「頭のほうがちょっと鈍くなってきてるなと思って、物覚えも少し悪いなと」
節目の年の決断です。
三谷悦子さん(74)
「今年9月末で店を閉める決心をしました。ちょうど75歳になるので。ここに来て50年になるんだっていうね。少し仕事から離れていいなと思って」
雪で自転車が使えないため、学生の来店がぐっと減るこの時期。
まだ、辞める決断をあまり周囲に打ち明けられていません。
上田至恩くん5歳。
父親の昌平さんと親子2代での常連さんです。
3年前から成長して、今ではしっかりしたお兄さんです。
きょうは友達と一緒にお買い物!
三谷悦子さん(74)
「1から11までの数字だと当たり」
上田至恩くん(5)
「68だ」
この日は12月30日。
年越し用に買い溜めです。
お値段は…
三谷悦子さん(74)
「780円。はいお釣りあげるね」
シオン君、大満足です。
記録用の写真撮影も忘れません。
おばん、最後に店を畳むことを初めて子どもたちに伝えます。
三谷悦子さん(74)
「9月で終わるんです。ばーさんだから。それまで一生懸命頑張りますので」
おばんの原動力。
それは、子どもたちの成長でした。
三谷悦子さん(74)
「卒業した子がしばらくぶりに来て、『おばさん変わらんね』とか『元気してる?』とかね。大人になってから、成長した子どもたちを見るのが最高ですね。頑張っているのを見ると、高校中学のときに声かけて頑張ってくれたのがちょっと身になったのかなと思ってね」
辞める決断をしたおばんに、改めて1つ質問してみました。
記者
「駄菓子置いてほしいという言葉を受け入れて正解?」
三谷悦子さん(74)
「思います。いろんな子と出会えたというか、よかったと思う。出会いが広がったというか…だから置いてよかったなと思って」
残り、9か月。
おばんらしく、旭川市の子供たちの居場所を守り続けます。