視覚に障害がある人でもプレーできるサッカー「ブラインドサッカー」。札幌を拠点に活動するチームで奮闘する選手がいます。
ピッチを駆ける選手たち。ゴールキーパー以外は、アイマスクを着けています。
使っているボールは、転がると音が鳴ります。
これが「ブラインドサッカー」、略して「ブラサカ」。パラリンピックの競技種目でもあります。
激しい体のぶつかり合いも。
背番号22を背負い、華麗なゴールを決めたのは、木村侑平選手28歳。
札幌が拠点のブラサカチーム「ナマーラ北海道」の攻守の要です。
いま両目の視力は0.1ですが、病の影響で視力の矯正はできません。
右目は白内障も患い、光がまぶしい状態です。
木村侑平選手(28)
「シュートをした時の決定力は、まだまだ課題」
小学校3年生でサッカーを始めた木村さん。
しかし、年々遠くや高い位置のボールが見えなくなり、教室の黒板も見えづらくなる状況に。
先天性の視神経の病気が進行していたのです。
キャプテンを務めていた中学での部活を最後に一度、サッカーを諦めざるを得なくなりました。
木村侑平選手(28)
「高校生のレベル・スピードには対応できないなと思った」
ブラサカを始めたきっかけは、大学時代に双子の兄に誘われたことでした。
その兄とは、2024年のパリパラリンピック・自転車競技の代表、木村和平さん28歳です。
和平さんも同じ目の病を患い、先にブラサカを始めていました。
木村侑平選手(28)
「兄に誘われて(チームに)入ったら、兄が『自転車選手になる』っていなくなりました」
妻、彩花さんと、2023年生まれた長女雪乃ちゃん、そして、ネコのホタテと暮らす木村さん。
サッカー選手のかたわら、理学療法士として障害がある人の体のケアなどをしていますが、家に帰れば趣味の料理も楽しむ、夫でありパパでもあります。
妻 彩花さん(28)
「ふだん(夫は)穏やかだがサッカーになると激しいからびっくりした。家のことも仕事もサッカーもやって充実している」
木村侑平選手(28)
「もっとうまくなりたい、楽しい、というのが原動力で(ブラサカを)続けています」
病に立ち向かいながら、チームや家族の支えを得て、より多くのゴールを目指します。
今後の楽しみは、長女の雪乃ちゃんが大きくなったら一緒に料理教室に通うことだという木村選手。
現在も週に2回ほどチームの練習に参加し、課題にしているシュートの精度を上げるため努力を続けています。