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「水晶体にボールの縫い目」巨人V9支えた「最強5番」左目打球直撃で引退…「今もほとんど見えていない」

スポーツ報知 2024年6月19日 5時10分

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第6回は、V9時代にONの後を打ち「最強の5番打者」として大きな存在感を発揮した末次利光さん(82)だ。大舞台になるほど光る勝負強さで魅了した一方、不慮の事故で選手生命を絶たれた悲運のスラッガーでもあった。現役時代は感情を表に出さないスタイルを貫いた男が、押し隠していた「喜怒哀楽」を語る。(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫)

 引退したのは77年、35歳の年だった。阪神戦の満塁ホームランの翌年。選手としては全盛期だった。

 きっかけになったのは練習中の事故だった。3月20日の後楽園でのオープン戦前。センターの一番深いところで遠投をしていた僕の左目に、柳田真宏の打球が直撃した。救急車で運ばれて、約2か月入院することになった。

 診断は眼底出血に網膜剥離(はくり)。目を開けたままだったので、水晶体のど真ん中にボールの縫い目がついていたほどだった。視野が狭くなり、遠近感が全然ダメになってしまった。

 入院中に主治医に「現役はもう無理です」と宣告された。その時のベッドに体が深く沈み込んでいく感覚は忘れられない。日常生活でも抱えていた緊張感が一気に緩んだのだと思う。

 柳田からは何度も何度もわびを受けた。「おまえが悪いんじゃない、不可抗力だ」と言っても謝り続けているから、逆に怒ったことさえあった。あの時、僕のそばで球拾いをしていた裏方さんが「危ない!」と声をかけてくれていたら…。恨むなら、そっちだね。

 本当の状態は秘密にしていた。そのまま辞めるのは悔しい。退院して、北海道へ飛んだ。遠くを見るのが回復に効果があるというから、ゴルフ場を巡りながら、自然を眺めるリハビリを繰り返した。

 帰ってきて、2軍でゲームに出始めた。真っすぐの球筋はまだ分かる。けど、変化球が消えるんだ。普段も、コーヒーやビールを注ごうとすると手前にボトボトこぼした。車を運転していても気づけば前の車にビタッとくっついていたりね。

 10月8日の大洋戦(後楽園)で1軍に復帰して右前安打を打ったけど、それは利き目の右目のおかげだった。日本シリーズにも出たが「もう野球ができる状態じゃない」と周囲に打ち明けた。

 5、6年は苦労したけど、あとはもう慣れです。今も左目の眼底は出血の影響で真っ黒だし、ほとんど見えていない。大変なのはゴルフでね。遠近感が分からなくてボールの下をすくってしまったり…。今はもう慣れで打っているから、キャディーさんなんかも目が悪いって忘れているけど。

 ある意味ではけがもあったから巨人一筋でいられた。活躍していた頃は、毎年のようにトレード候補として新聞に名前が出ていたから。元気だったらいつかは出されていたと思うんだよ。

 ◆末次 利光(すえつぐ・としみつ)1942年3月2日、熊本・人吉市出身。82歳。鎮西、中大を経て、65年から13年間巨人でプレー。71年には日本シリーズMVP。74年にはベストナインにも輝いた。引退後は2軍監督、スカウト、編成部長などを歴任し、高橋由伸、上原浩治、阿部慎之助、亀井善行らの獲得に尽力した。74年に民夫から改名。

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