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「夢グループ」石田重廣社長インタビュー…原点は東北高野球部で学んだ社会で通じる裏方の自己犠牲

スポーツ報知 2024年6月27日 10時31分

 通信販売会社「夢グループ」の石田重廣社長(65)が、このほど「スポーツ報知」のインタビューに応じた。福島市出身でプロ野球選手を目指して宮城・東北高へ進学。名将・竹田利秋監督(83、現国学院大野球部総監督)から多くを学んだことを明かした。DVDを「でーぶいでー」と発音する通販CM制作の裏側や、グループ所属の演歌歌手・保科有里(62)との軽妙なかけ合いについても語った。(取材・構成=岩崎 敦)

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 ■竹田監督との出会い

 石田社長の原点は、熱い熱い野球愛にあった。プロ野球・広島の衣笠祥雄や外木場義郎に憧れて小学生から始めたが、通っていた国立の福島大付属小には野球部がなかった。団地の壁当てで腕を磨き、中学で野球部へ。チームで一番の実力だったが、当時の監督から「2、3年生がいるから1年生はレギュラーになれないよ」と言われた。

 「ばかばかしいと思いましたね。『僕が投げれば優勝できるのに』と言ったら『生意気な』と」

 中3時に福島市の大会で無安打投球をしながら四球とエラーで敗退。プロ野球を目指し、甲子園の常連だった東北高に目をつけた。1973年10月。学校を早退して仙台へ向かい、遠巻きに練習を見ていた時、運命の出会いがあった。竹田監督に話しかけられた。

 竹田「君はどこの高校生なんだ」

 石田「中学生です。ここに自分が入ったらすぐにレギュラーを取れるのかチェックに来ました」

 竹田「どこから来たんだ」

 石田「福島です」

 竹田「ご両親は?」

 石田「大反対なので、こっそり来ました」

 竹田「珍しい子だな…。まあ分かった。キャッチボールをしてくれないか」

 中3ながら身長は180センチ。確かな力量を感じ取った指揮官は再び聞いた。

 竹田「大学はどこに行きたいんだ」

 石田「早稲田です」

 竹田「ウチには早稲田の推薦枠が1つある。ご両親を説得してあげるから」

 ■前代未聞の“面接” 

 前代未聞の“面接”を経て翌春に入学。約150人いた部員の中ですぐに頭角を現し、秋の新チーム発足時には25人のレギュラークラスに入った。岩手県の高校との練習試合では完全試合も達成した。

 「海辺のグラウンドで風が吹いていたから、ボールが浮いて曲がるんですよ。まあラッキーでした」

 オーバー、サイド、アンダースローとフォームを模索する中で140キロ近くは出ていたという。ただ、課題もあった。

 「中学までほとんど試合をしていないから連係プレーがダメで…。一塁に出てもリードの仕方が分からない。戻るのも怖いし。だから僕の打順になると交代ね。3イニングで代打を出されていました」

 しかし秋季大会が始まる前に不祥事があり、無期限の対外試合禁止が言い渡された。甲子園の夢が消えて泣きじゃくる先輩や監督の前で、こう言った。

 「監督、先輩、泣いてる場合じゃないです。野球部以外の不良が悪いこと(修学旅行で他校生とケンカ)をして何で僕らが犠牲になるんですか。高野連に話はできないんですか」

 竹田監督から「これが高校野球だ。ルールがある以上従わないと」と諭された直後、まさかの発言に周囲は驚いた。

 「イチ、や~めた」

 ■広告にひらめいた

 周囲は誰も止めてくれず、そのまま退部、退学。1年生の10月だった。福島に戻り、安積商(現帝京安積)卒業後に上京。浪人中には、両親から送られた20万円の大学受験料を友人に盗まれた。代わりに高田馬場の学生ローンで借りたが、気が大きくなり受験せず引っ越し代に消えた。バイトを転々とする中で、酒屋へ集金に来た人を見てひらめいた。

 「酒屋のおじさんが広告代金に8000円も払っていたんです。広告っていい値段もらえるんだな、と。1万円で地図を買って、コピーしてマス目を作って『広告入れてください』って商店街を回った。4時間で5件も取れたんですよ。広告の作り方も勉強して頑張りましたね」

 その後、一代で通販会社を立ち上げた活躍は周知の事実。今年5月には高校時代以来初めて楽天モバイルパーク(当時は宮城球場)のマウンドに立ち、始球式が実現した。心には今でも、東北高で学んだことが深く根付いている。

 「東北高校は同じレベルだったら下級生を使ってくれたんです。竹田監督は『甲子園に行くことが夢じゃない。甲子園で優勝することなんだ。白河の関を越えて優勝旗を取ってくるんだ。来年があるんだから下級生を使うのは当たり前だろ』と言っていました。だから強いんだなと」

 先輩も後輩も関係なく、全員でグラウンドを整備した。イジメもない。当時としては画期的な環境だった。

 「監督が一番怖くてね。でも僕はレギュラークラスで唯一ぶん殴られたことがなかった。よく質問したからですかねえ」

 ただ、レギュラークラス以外はほとんど練習ができなかった。

 「20人ぐらいは用具係でした。グローブの代わりに軍手をはめ、バットではなくシャベルを持って長靴を履く。リヤカーを引いて山を削ってグラウンドを造っていた。辞めていく人もいっぱいいたけど、全うする人もいる。この人たちがいるから野球部が成り立っているんだと分かりました」

 竹田監督は彼らをとても大事にしており、就職の口添えもしていた。約10年前、高校で4学年下だったミズノの担当者と知り合った。野球部では用具係だったという彼は言った。

 「今はプロ野球担当をやらせてもらっています。ミズノへの就職は竹田監督が橋渡ししてくれました」

 縁の下の力持ちが社会で貴重な戦力となっていた。自身のビジネスにも通じると強く感じた。

 「ウチの会社でもそういう人がほしい。自分を犠牲にしてチームをつくるような人が必要になる。自分にはできなかったけど、かっこいいなと思いましたね。改めて東北高校の素晴らしさを知りました」

 わずか半年の在籍だったが、東北高野球部での経験は永遠の宝物だ。

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 石田社長といえば、ゆる~いCM。「しーでー」「でーぶいでー」という独特の発音や、保科の「社長、安くして~」という甘い呼びかけが評判だ。「今は宮城生協、フジドリームエアラインズ、地方自治体からもCM制作の依頼が来ました。芸能界では清水ミチコさんの武道館公演や、タカアンドトシの30周年もやったかな」と明かした。

 さぞ忙しいかと思いきや「すぐ終わるから全然忙しくないですよ」という。「60秒CMなら5分。5分CMでも30分ぐらいでストーリーが出来上がるかな。保科さんは撮影の最後に来て、僕が手書きの台本を渡すだけですね~」

 ネットでは“愛人疑惑”もささやかれる保科との関係にも言及。「言われれば言われるほどうれしいです。魅力があるということですからね。小さいけど芸能会社の社長ですから『愛人じゃないか』と言われる女性がいればタレント性があるじゃないですか。本気にする人もいるけど『どうぞお好きに』という感じですねえ」と笑い飛ばした。

 ◆取材後記◆

 インタビューのきっかけは楽天戦の始球式だった。ダメ元で依頼したところ、後日に関係者から「仙台で夢グループのコンサートをやるので、明日の開演前なら大丈夫です」と連絡が。「時間や場所は社長と直接やりとりしてください」と携帯番号を教えられた。半信半疑でかけ、留守電に要件を入れるとすぐに返信が来た。

 「話は楽屋で」ということだったので社長の個室だと思っていたら、出演者がメイクや着替えをしている大部屋の一角で話が始まった。波乱万丈なトークに笑いをこらえていると、出演者も「社長、面白いねえ」と一緒に笑っていた。

 取材後に「社長と直接やりとりなんて珍しいですね」と告げると「僕は営業マンですから」と即答された。「役職が上がると名刺に携帯番号を入れない人が多いですが、そうじゃない。何か仕事につながる話があればラッキーじゃないですか」。初対面なのに何度も会ったことがあるような親近感。器もデカい人だった。

 ◆石田 重廣(いしだ・しげひろ)1958年7月1日、福島市生まれ。65歳。30代で中国や香港から商品を輸入、通販する会社「ユーコー」を設立。2003年には芸能事務所「あずさ2号」を設立し、その後に社名を「夢グループ」へ変更。通販と芸能事務所をメインに事業を展開し、関連企業を含めると年商200億円超の企業へ急成長した。

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