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「事務所歩いてた」奥田民生がPUFFYプロデュース秘話明かす Tシャツ姿の理由も…単独インタビュー

スポーツ報知 2024年7月12日 5時0分

 今年ソロ活動30周年を迎えるミュージシャンの奥田民生(59)が、スポーツ報知の単独インタビューに応じた。シングル「愛のために」(1994年10月21日発売)でソロ活動を本格始動。来年5月には還暦を迎える。「ユニコーン」で90年代のバンドブームをけん引し、21世紀も日本のロックのトップランナーであり続けるカリスマの胸の内に迫った。(高橋 誠司)

 奥田民生は「10年で区切ってるわけじゃないけど」としつつ30代、40代、50代の自分を振り返った。

 「30代はソロになって、ユニコーンじゃなくなったのがでかいんで。アメリカに行ったり、いろんな人と音楽を作れるようになった10年でしたね。ソロになるとき名前を変えときゃよかったな。痔(じ)の病院に行って名前呼ばれると恥ずかしいでしょ」

 「40代はね、『もう分かったぞ。できることとできないことがあるんだ、人間は』と。バンド仲間とも一緒にフェスだったり、酒飲んだりすることが増えてきたんですよ。若いうちはけん制し合ってたのが、どうでもよくなったというか、緩くなって、交流はどんどん増えていった」

 「50代に入ると、さらに自分のことは“最あと回し”になるっていう。ユニコーンも含めなんですけど、ソロが一番最後なんですよ。ツアーはやるけど、そんなに創作活動はしてないし。それも含めてレーベルを立ち上げたんだと思います」

 音楽的なターニングポイントになったのが、2000年1月に発売したシングル「マシマロ」だった。歌詞もサウンドもシンプルを極めたこの曲のヒットがその後の指針に。「オリジナリティーあふれる“いい曲”を何曲も作れる作曲家でありたいと思うんだけど、平凡な曲でも自分が演奏して歌うとよくなるってのもミュージシャンとしてすごいじゃないですか? そんな褒められ方もいいでしょって。演奏とか音とか、そっちに気を使いたいっていう方向に変わっていった時期ですね」

 プロデュースしたPUFFYについては「事務所歩いてた暇そうな2人(大貫亜美、吉村由美)をね。もちろん成功したのは彼女たちのおかげなんだけど、誰も戦略も立てず、その場で適当にやっただけなんで。衣装もめんどくさいからTシャツでいいんじゃない?って。みんなちゃんとしてる中で、ものすごく適当なのが現れたのがよかったんでしょうね」と明かした。

10・26&27国技館で記念ライブ

 奥田は10月26、27日に東京・両国国技館でソロ30周年記念ライブ「59―60」を行う。1日目は弾き語りスタイルの「ひとり股旅スペシャル」。2日目は、30年前当時のメンバーが再結集したバンド「GOZ」によるライブ。「そのときのメンバーとまたやるってのが一番でかいんで。“ひとり”は一番どうでもいいと思ってます」。

 ソロ10周年ではギター1本で故郷の広島市民球場に錦を飾ったはずだが。「弾き語りって、人の結婚式とかで歌う時に練習するために始めたんですよ。あれはオプションなんですよね」と苦笑いしつつ、国技館という場所については「確かにひとりが似合うっちゃ似合う。造り的にね。あのムードある形も。元関取が焼き鳥持って行きますって連絡してきた」と明かした。

 ◆奥田 民生(おくだ・たみお)1965年5月12日、広島県生まれ。59歳。87年にロックバンド「ユニコーン」でメジャーデビュー。93年に解散後、94年にソロ活動を本格始動し、「イージュー★ライダー」「さすらい」などがヒット。井上陽水とのユニットやPUFFYのプロデュース、米国のバンド「The Verbs」での活動など多岐にわたって活躍し続けている。2009年にユニコーンが再始動。15年に自身のレーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」を設立した。

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