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サッカーU23主将は小2で「完璧にコーチング」恩師の声出しの教え今も守る

スポーツ報知 2024年7月20日 7時0分

 8大会連続五輪に出場するサッカー男子U―23日本代表は、1968年メキシコ市五輪「銅」以来の表彰台&史上初の金メダルを目指す。チームをけん引するのは、五輪出場権を獲得し、アジアの頂点に輝いたU―23アジア杯兼パリ五輪アジア最終予選(4~5月)に引き続き主将を務める藤田譲瑠チマ(22)=シントトロイデン=だ。17日(日本時間18日)のU―23フランス代表戦(1△1)でも先制点を決めた藤田について、恩師である東京・町田大蔵FCの市川雄太コーチ(39)が小学時代を振り返り、エールを送った。

 ピッチ上で輝きを放つ姿は今も昔も変わらない。小学校2年から6年生まで町田大蔵FCで藤田を指導していた市川コーチは、当時のことを鮮明に覚えている。

 「天才だなと思いました。技術もセンスもサッカーIQもあって、何よりもサッカーが大好き。常にボールを蹴っていてこの子は宝物だなと思いました」。

 鮮やかなドリブルで相手を簡単に抜き去る才能を持っていても、誰より早くグラウンドに来て、友達を集めてボールを蹴り始める。大人とも1対1の勝負を挑んでは負け、砂をいじりながら下を向いて涙を流すのも日常だった。「譲瑠は毎回本気でしたし、本当に素直。一番大事なものを持っていました」と市川コーチ。その真っすぐな気持ちで、才能に磨きをかけた。

 大岩ジャパンでは逆三角形で形成する中盤の底が主戦場。甲高い声で周囲に指示を出すリーダーシップはチームの生命線だが、小2の時にはその才能の片りんを見せていた。試合ではゴールキックから相手がボールをつなぎ始めた瞬間に「今だ、行け!」と藤田が声を出し、仲間のボール奪取をアシスト。コーチ泣かせの的確な指示に、市川コーチも「あそこまで完璧にコーチングできる子はいなかった」と感嘆するほどだった。

 ただ、当時は相手が自分より上手だと萎縮(いしゅく)し、声が出なかった。その時の「自分の気持ちを保つために声を出し続けなさい」という教えは、現在のかれるまで声を出し続ける姿につながっている。高学年になると、自分を上回る速さや体格の選手が多くなると、体の向きや味方とのパス交換で相手をかわす重要性を伝えられた。1本のパスで局面を変える今のプレーなど全ての原点は、藤田が「一番の恩師です」と感謝する市川コーチの下で培われた。

 その時期に、藤田は自分自身と“約束”も交わしていた。高学年の時に書いた詩集の結びにこう記していた。

 「夢は、世界一強くなること」

 パリ五輪で目指すのは、日本サッカー初の金メダル。市川さんは「思い切りプレーして、メダルを目指してほしいです」と願いを込める。「宝物」の輝きを放ちながら成長してきた藤田がパリで金メダルを獲得し、夢をかなえる。(後藤 亮太)

 ◆藤田譲瑠チマ(ふじた・じょえるちま)2002年2月16日、東京・町田市生まれ。22歳。父はナイジェリア人、母は日本人。町田大蔵FCから東京Vジュニアユース、東京Vユースを経て20年にトップチーム昇格。21年徳島、22年から横浜Mでプレーし、23年7月にベルギー1部シントトロイデンに完全移籍。22年E―1選手権で日本代表デビューし、国際Aマッチ2試合に出場。右利き。175センチ、76キロ。

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