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【パリ五輪】池江璃花子に寄り添った西崎勇コーチ 指導方針の根底に治療下の息子「璃花子にも、全く同じ思いでした」

スポーツ報知 2024年7月28日 11時0分

◆パリ五輪 第2日 競泳女子100メートルバタフライ準決勝(27日、ラデファンス・アリーナ)

 【パリ(27日)ペン=大谷翔太】3大会連続出場の池江璃花子(横浜ゴム)が、女子100メートルバタフライ準決勝に臨み、57秒79で全体12位で終わった。上位8人による決勝進出を逃し「決勝が目標と(リオ五輪の)16歳の時の自分を超える気持ちでやってきたけど、こんな形で自分の個人種目が終わってしまってショック」と、目を真っ赤にした。白血病の闘病による休養から復活し、再び世界の舞台に戻ってきた池江。ルネサンスで昨年まで指導した西崎勇コーチが池江のパリ五輪への道を語ると共に、4年後の次回2028年ロス五輪に向けて期待を込めた。

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 2大会ぶりに個人で五輪に挑んだ池江。支えた1人が、ルネサンスで指導する西崎勇コーチだ。19年12月に退院した池江を、チームに迎え入れた。ゼロからの再スタート。西崎氏は、池江が水泳選手である前にまずは人に寄り添った。

 「病気の前は水泳ありきの生活だったが、まずは一般の人と同じ生活を送れるようにすることから始まった。その過程に水泳があった。私の中で一つ基準にしていたのが、璃花子の笑顔が消えていないかという事。当時練習メニューは9割作って、その日の璃花子の表情やしぐさで、最終的に固めていました」

 可能な限り、池江の意向に寄り添った指導方針。根底には、池江の白血病が発覚する約3か月前、小学校高学年だった息子の命に関わる大病が発覚し、治療下にいた経験があったという。

 「息子の手術が終わり、生きていることさえ脅かされたという経験をした中で、今後はやりたい事をなるべくさせてあげようと妻と話した。璃花子にも、全く同じ思いでした。彼女が一生懸命頑張って、病気と戦ってつかみ取った人生。元々、私は妥協を一切許さない性格でしたが、璃花子には無理をさせないように。彼女の意志に沿いつつ、バランスを取ってやりました」

 当時は朝・午後の2部練習を終え、入院する息子のもとへ通う日々。東京五輪前は「必死だった」と振り返るが、置かれた立場を誇りに前へ進んでいた。

 「息子も選手ではないが、水泳が好き。『自分のお父さんが璃花子ちゃんのコーチ』ということも、すごく励みになったと思う。そういった意味では、こうした機会を与えてくれた璃花子にはとても感謝しています」

 21年東京五輪は、代表選考会4冠を果たし奇跡とも言える出場。池江は、東京を経たことにより、パリでの勝負に向けてより大きな火を心に灯した。その中で芽生えた豪州に練習拠点を移すという挑戦。西崎氏も、全面バックアップした。

 「東京を終えて、個人で勝負したいとより強く思うようになった。そこで海外に行くという次のステップにつながった。豪州に行けば、練習量は圧倒的に多くなる。それまでは、全力で泳ぐ練習を距離問わずに10本以上課したことはなかったが、渡豪前は徐々に増やしていった。オーストラリアに行っても通用する準備を、できるだけ行った」

 池江は23年秋に渡豪し、着実にレベルアップ。3月の代表選考会では、個人で五輪切符をつかんだ。パリで更にステップを上がった池江だが、西崎氏が最も気に掛けるのは今年にも迎える寛解。何よりも、池江の健康を第一に願っている。

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