創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第66回は水野雄仁。
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「阿波の金太郎」として甲子園を沸かせたのが水野雄仁だ。
1965年9月3日、徳島県出身。蔦文也監督率いる「やまびこ打線」の池田で82年夏は外野手として出場し、優勝。83年春は「4番・エース」で夏春連覇を達成。豪快な打撃や、小気味いいピッチング、そして自由奔放な発言や風貌(ふうぼう)で「金太郎」とあだ名され、人気を博した。同年夏は史上初の夏春夏3連覇を狙うが、準決勝で当時1年生の桑田真澄、清原和博を擁するPL学園と対戦。清原から4三振を奪う一方で、桑田には本塁打を許し、完封で敗れた。
同年ドラフト1位で入団。86年に8勝、87年は主に先発として10勝4敗の好成績でリーグ優勝に貢献。王貞治監督の初の胴上げを実現した。
藤田政権の90年は抑えとして11セーブ。長嶋政権では中継ぎとして活躍したが、右肩、肘を痛め96年限りで引退した。
1年後、メジャーでの現役復帰を目指してウィンターリーグやパドレスのキャンプに参加するも、昇格はならなかった。
99年から2001年まで投手コーチ。18年のブランクを経て19、20年もコーチを務め、現在はスカウト部長。