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岡慎之助が大舞台で見せた「美しい倒立」 代名詞で引き寄せた金メダル…パリ五輪

スポーツ報知 2024年8月1日 22時50分

◆パリ五輪 第6日 ▽体操(31日、ベルシー・アリーナ)

 男子の個人総合決勝が31日に行われ、初出場の岡慎之助(20)=徳洲会=が日本人6人目となる金メダルを獲得。合計86・832点で、2位との差わずか0・233点の接戦を制した。日本男子は2012年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会を連覇した内村航平、21年東京五輪の橋本大輝(22)=セントラルスポーツ=に続き五輪4連覇となった。日本人4人目の団体との2冠を達成した偉業を体操担当の小林玲花記者が「見た」。

 時が止まったように長く感じた。「勝ちたい」。岡はただ、祈るように待った。最終演技者・張の得点がアナウンスされても、岡はモニターを見つめたまま。「点数の計算が全然できないんで」。隣の橋本に力いっぱい抱きしめられ「やっと勝った」と喜びをかみしめた。最後はわずか0・233点差で振り切り、158センチの新星が頂点へ。将来を期待されてきた日本の宝が、パリの地で花開いた。

 橋本と張、世界王者の一騎打ちが予想された決勝は、波乱だった。両者ミスが出て、会場にこぼれるため息。そこでも岡は「緊張をかみしめながら楽しんで」とぶれず。床運動から着地を止めて好発進。得意の平行棒は「お手本」と称される美しい倒立で15点台に乗せた。出来栄えを示す「Eスコア」は、つり輪を除く5種目で8点超。ニッポンの伝統、美しい体操で世界中を驚かせた。

 名前の由来はプロ野球・巨人の阿部慎之助監督で、野球経験者の父・泰正さんが「スーパースターになってほしい」と願いを込めた。幼少期はブロック塀をよじ登ったり、とにかくやんちゃ。「腕の力が強かったかも」と母・八千代さん。4歳の頃に保育園で一人だけ逆上がりができ、先生にほめられた。おかやまジュニアでは毎日40分以上も倒立し、今では「倒立は休憩」と驚異の域に到達。美しい倒立は“代名詞”になった。

 139センチの小さないがぐり頭の少年は高1の時、実業団の徳洲会へ。当時は異例だった。先輩から「豆みたい」とかわいがられたが、体操はすでに一級品。所属の米田功監督は、素質を「フェラーリ」と例える。

 「ここに来たからには絶対五輪に出て、絶対恩返しする」。最初に訪れたチャンスは21年東京五輪も手首痛の影響もあり、全日本60位で敗退。ホテルで一人、悔し泣き。さらに悲劇が襲った。22年全日本で右膝前十字じん帯を完全断裂。全治8か月。だが、不屈の男は、強くなって戻ってきた。

 観客席には涙を流す父の姿があった。「僕の宝です。今は息子がスーパースター。野球じゃなく体操でした」。日本男子が個人総合4連覇を果たし、黄金期再来を予感させた。「航平さんがやってきたように勝ち続けられるように」。大きな可能性を秘めた、小さな新五輪王者が誕生した。

 ◆岡慎之助に聞く

 ―金メダルを獲得。

 「団体と個人で金メダルを目指して練習してきた。その成果がつながって、本当にうれしい」

 ―接戦で最後の鉄棒。

 「ポイントだけを押さえて、冷静に、中途半端な演技だけはしないようにと思った。大きく(体を)動かし、感謝の気持ちを込めた演技ができた」

 ―鉄棒の前に、橋本からは何を言われた?

 「橋本選手はずっと『自信持って、胸張って演技しろよ』と言ってくれた。力になった」

 ―終始、楽しそうだった。

 「この五輪は全員が出られる場所ではない。本当に楽しくやることを(念頭に)置きながら。感謝の気持ちを込めた」

 ―表彰台の中央からの景色は。

 「けがをしてきついトレーニングもあったけど、パリという軸が自分の中であった。それがなかったらここには立てていない」

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