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東京五輪金のウルフ・アロン、敗者復活戦で敗れメダル獲得ならず「柔道人生の集大成にしたい大会ではあった。心残りはあります」

スポーツ報知 2024年8月1日 23時37分

◆パリ五輪 第7日 ▽柔道(1日、シャンドマルス・アリーナ)

 【パリ(1日)=林直史】柔道男子100キロ級で21年東京五輪王者のウルフ・アロン(28)=パーク24=はこの階級で日本勢初の連覇を逃した。準々決勝で世界ランキング2位のイリア・スラマニゼ(ジョージア)に隅返しで技ありを取られて優勢負け。敗者復活戦はニコロズ・シェラザジシビリ(スペイン)に延長の末、内股で一本をとられ、屈した。6分47秒の激闘だった。

 「一度はやめようとした柔道ではあったんですけど。この舞台で結果を残すことはできませんでしたけど、この舞台に戻って来ることができて良かったと思います」と話すと、「たくさんの人が見て、応援してくれているのは分かっていた大会ではありました。僕の柔道人生の集大成にしたい大会ではあった。心残りはあります」と悔しそうに話した。

 ウルフは東京五輪後、積極的にメディアに出演してきた。金メダリストとして、柔道の普及に少しでも力になりたいとの思いからだった。年内と期限を定め、22年の年明けからパリに向けて始動したが、普及活動の代償で一時は体重が125キロまで増加。以前から課題だった減量にさらに苦しめられた。

 不運も重なった。復帰戦の予定だった22年4月の全日本選抜体重別選手権を右足のけがで欠場。8月のアジア選手権は空港の出国前に新型コロナの検査で陽性となり、出場できず。10月の講道館杯で約1年3か月ぶりに実戦に戻ったが、12月のグランドスラム(GS)東京大会、マスターズ大会と2大会連続で初戦敗退を喫した。周囲に「柔道やめようかな。勝てないし…」とぼやくほど、気持ちは落ち込んだ。

 支えとなったのは100キロ級の代表が決まっていなかったこと。突き抜ける選手が現れず、争いはもつれた。23年12月のGS東京大会は7位。2位となった若手の新井道大(19)=東海大=が一気に一番手に浮上し、選考の決着が持ち越しになると、闘争心に火がついた。「同階級のライバルが出てきて、まだまだ勝ちたい。もう一度、本気でやりたいという気持ちが出てきた」と明かす。

 翌年2月のGSパリ大会で優勝して代表に内定し、男女14階級で最後に切符をつかんだ。直近は国際大会で3戦2勝と調子を上げてパリ五輪に臨んでいたが、井上康生ら日本勢が果たせなかった100キロ級五輪連覇の壁は厚かった。

 ◆ウルフ・アロン 1996年2月25日、東京・葛飾区出身。米国人の父と日本人の母を持つ。春日柔道クラブで柔道を始め、東海大浦安高ー東海大。17年世界選手権優勝。19年世界選手権3位。19年全日本選手権優勝。181センチ。

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