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斉藤立は無念 3位決定戦で敗れ日本柔道初の親子2代メダル逃す「これで日本に帰れるのかと。情けないです」…パリ五輪

スポーツ報知 2024年8月3日 0時45分

◆パリ五輪 第8日 ▽柔道(2日、シャンドマルス・アリーナ)

 柔道男子100キロ超級の斉藤立(JESグループ)は3位決定戦でアリシェル・ユスポフ(ウズベキスタン)に敗れ、メダル獲得はならなかった。敗れると「情けないです。やっぱり応援に来てくれた家族に対して、ここであきらめたら申し訳ないという気持ちでやったんですけど、力不足でした。これで自分は日本に帰れるのかと思って。本当に情けない気持ちでいっぱいです」と言葉を振り絞った。

 3位決定戦は開始1分、外巻き込みで技ありをとられると、腕ひしぎ十字固めで一本負けとなった。

 立は1984年ロサンゼルス、88年ソウル五輪を連覇した故・斉藤仁氏(享年54)の次男。日本柔道史上初めて親子2代で五輪代表となった。仁氏に続き、親子2代でのメダル獲得となれば、日本柔道史上初めての快挙だった。

 兄・一郎さん(25)と一緒に小学1年で柔道を始め、仁氏の厳しい指導を受けてきた。当時は「柔道が嫌いで、やらされていたという気持ち感が強かった」と前向きではなかった。転機となったのは中学1年だった15年1月20日。「無敵だと思っていた」という父が、がん性胸膜炎で亡くなった。

 父の偉大さを知り、本気で柔道に取り組んだ。大阪から上京して国士舘高、国士舘大と父と同じ道を進み、22年4月の全日本選手権で年少3位の若さとなる20歳1か月で優勝を果たした。同年の世界選手権で銀メダルを獲得するなど国際大会でも結果を残し、昨年8月にパリ五輪代表に内定。日本柔道で初めて親子で五輪代表となった。

 初五輪までの日々は、不定期で不安にも襲われることもあった。「稽古をしていて充実しているけど、これが合っているのかとか、すごく怖い時がある」と吐露したこともある。それでも「自分だけの夢ではない。必ず優勝。背負ったもの、やってきたことを全てぶつける」。強い決意で柔道大国フランスの畳に上がった。

 会場では母・三恵子さんが、仁氏の遺影を持って観戦。初戦の2回戦では21年東京五輪金メダリストのルカシュ・クルパレク(チェコ)を鮮やかな内股で一本勝ち。準々決勝でも観客席で父の遺影が見守る中、快勝した。だが準決勝で韓国人選手に敗れると、3位決定戦も無念の敗戦となった。

 ◆斉藤 立(さいとう・たつる)2002年3月8日、大阪市生まれ。22歳。5歳で柔道を始め、小6で全国少年大会優勝。大阪・上宮中―国士舘高―国士舘大。全日本選手権は19年に史上最年少17歳1か月で出場し、22年に年少3位の20歳1か月で初優勝。22年マスターズ大会優勝。世界選手権は22年2位、23年7位。191センチ、165キロ。家族は母と兄。

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