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三屋裕子会長「スタートラインを作りたかった」バスケ男子「勝つ気あんのか!」“弱小”から自力五輪まで進化の道のり

スポーツ報知 2024年8月3日 15時10分

 バスケットボール男子で、世界ランク26位の日本は、2日の1次リーグB組最終戦で同12位のブラジルに84―102で敗れ、3連敗。前回の21年東京五輪に続き、3戦全敗で大会を終えた。史上初の「8強入り」を掲げた“史上最強”ホーバス・ジャパンの挑戦が終わりを告げた。

 不戦勝を除き52年ぶりの五輪1勝、そして目標には届かなかったが、23年W杯王者のドイツ戦は第3クオーター(Q)まで互角に張り合い、前回銀メダリストのフランス戦は、八村が途中退場も「大金星」にあと1歩まで迫り、確かな爪あとを残した。日本協会の三屋裕子会長は、“弱小”からはい上がってきた男子日本代表の歩みを語った。

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 2019年2月、それは21年東京五輪の開催国枠も獲得していなかった頃、会長は「次の24年パリ五輪こそ、自力で出ないといけない」と言った。

 自身は、バレーボール女子日本代表で1984年ロス五輪に出場し、銅メダルを獲得。五輪は「特殊な雰囲気」と、簡単には言葉にできない舞台だった。その特別な場所で戦い抜くために、大きな自信となったものは“伝統”。「先輩から受け継がれたものがすごくありがたかった。常日頃、五輪の戦い方を教わった。つながってきたからこそできたものがある。五輪に連続出場し、次につなげていく。それが伝統。バスケ界のスタートラインを作りたかった」。2016年に会長に就任して以降、この思いを貫いてきた。

 自身もアスリート出身。当初は信じられない光景を目にした。代表合宿に遅刻するもの、外出してファストフードを食べるもの。試合では簡単にフリースローを外し、チャンスでシュートを打たない。「素人の私ですら『何でそんな怖がるわけ?』と思った。勝ってきていないチームは土壇場でこんなに弱いのかと。『勝つ気あんのか!』と思わず言葉が出た」。明らかに自信が足りていなかった。

 2018年2月、W杯アジア最終予選では、格下の台湾に敗れるなど、地獄の4連敗。19年W杯自力出場も崖っぷちで、東京五輪開催国枠も危ぶまれた。「負け方にもほどがある」。暗闇をさまよった。そこからはすがる思いで、毎年ご祈祷に行き、事務所にも神棚を設置。「もう神頼みしかなかった」。

 18年6月、同予選で負けたらW杯も開催国の五輪すら消えうる大一番、強豪・豪州戦を迎えた。「負けたら責任を取らないといけない」と覚悟。ここで八村塁が参戦した。当時の試合ポスターには八村の写真とともに「希望」と書かれている。最後の光だった。そこに、Bリーグ得点王のニック・ファジーカス(昨季引退)が日本国籍を取得。“救世主”が現れた。

 戦力アップはもちろん、2人は代表に大きな財産をもたらした。練習から空気が一変。練習前、2人は誰よりも早くコートに来て、黙々とシュートを打っていた。「一目置く人間が誰よりも練習している。代表の雰囲気って変わっていくんですよ。『ついていこう』ってどんどんよくなった」。試合は1点差で大金星。怒とうの8連勝で、13年ぶりにW杯出場、45年ぶり五輪出場を決めた。日本男子が生まれ変わった瞬間だった。

 「代表は勝ってなんぼ。一番の普及活動が代表の強化」と語っていたことがある。最初はバレー界、理事を務めたサッカー界とも比較し「圧倒的に注目度が低い。なんでなんだろう」とも。そこから約7年後、懸命に招致活動した23年W杯(沖縄)では史上初の3勝を挙げ、48年ぶり自力での五輪を決め、関東地区の瞬間最高視聴率30・2%を記録。昨季Bリーグの総入場者数は史上最多451万人を超えた。思い描いてきた“伝統”がここから始まろうとしている。

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