創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第69回は与那嶺要。
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日本野球に旋風を巻き起こしたのが、与那嶺要だ。
1925年6月24日、米国・ハワイ生まれ。両親がハワイに移民した日系2世で、ウォーリーが愛称だった。
47年、アメリカンフットボールチームに入団。50年から野球に転向、3Aに所属後、51年6月、巨人に入団した。
初出場の6月19日・中日戦は代打で出場し、杉下茂から三塁線へのセーフティーバントを決めてデビュー。9月12日には、1イニング3盗塁、2イニング連続本盗をマーク。併殺崩しのスライディングなど激しい走塁は、本場仕込みと評価される一方で反感も買った。
52年は打率・344、38盗塁、リーグ最多の163安打。1番・中堅のレギュラーとなり、54年は・361で首位打者。56、57年も首位打者となり、57年はMVPにも輝くなど、第2期黄金時代を支えた。
60年オフ、中日に移籍し62年引退。中日でコーチとなり72~77年は監督。74年に優勝を飾り、巨人の10連覇を阻止した。
ロッテ、巨人(78~80年)、南海、西武、日本ハムと多くの球団でコーチを務め、94年に殿堂入り。2011年に死去した。