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藤波朱理、無双137連勝で金メダル 最後の負けは中学2年…父に頭下げ「勝ちたい。強くしてください」

スポーツ報知 2024年8月9日 22時15分

◆パリ五輪 レスリング女子53キロ級▼決勝 藤波朱理 テクニカルスペリオリティー ジェペスグスマン(8日・シャンドマルス・アリーナ)

 8日の女子53キロ級で藤波朱理(20)=日体大=が初出場で金メダルに輝いた。決勝は3分37秒でルシアジャミレス・ジェペスグスマン(エクアドル)に10―0のテクニカルスペリオリティー(TS)勝ち。1回戦から圧倒的な強さで、二人三脚で歩んできた父・俊一コーチ(59)とともに頂点に立った。中学2年から続く公式戦の連勝も137に伸ばした。

  心の底から五輪を楽しんだ。藤波は優勝を決めると、ピョンピョンと跳びはね、セコンドの父・俊一コーチに駆け寄って抱きついた。「本当はタックルに行こうと思っていたけど、抱きつきに行っちゃいました。ありがとうって気持ちを伝えたかった」。二人三脚で歩んできた父と一緒に日の丸を掲げ、歓喜のウィニングラン。「も~う、最高です! オリンピック最高! レスリング最高! うれしい、うれしい、うれしいって気持ちです!」と飛びっきりの笑顔を振りまいた。

 3月に左肘を脱臼。五輪に出場できるか不安になり「もうダメかもしれない、なんで今なんだ」と練習場で泣きじゃくった。人生初の手術も母・千夏さん(56)の前向きな声かけに励まされ、乗り越えた。「起こること全てに意味がある。このけがも、今の瞬間を輝かせてくれるための経験だった」。感謝の思いが20歳をより強くした。五輪では1回戦、準々決勝をフォール、準決勝、決勝はTS、失点は準々決勝の「2」だけ。海外でついた異名「ワンダーガール」は、圧倒的な力で日本勢女子の夏季五輪50個目の金メダルを手にした。

 笑顔の裏には努力と我慢の日々があった。4歳で始めたレスリング。転機は中学2年だった17年6月の全国中学選手権。決勝で1学年上のライバルに2―7で完敗した。泣きながら父に頭を下げた。「勝ちたい。強くしてください」。練習前後の時間に走り込み、組み手の強化など父が課す厳しいメニューに食らいついた。そこから連勝街道が始まった。

 高校1年になっても全国総体を制するなど勝ち続けた。その頃から五輪の舞台を明確に意識するようになった。東京五輪は18歳以上の年齢制限に届かず出場できないことは分かっていた。5年後に「パリ五輪で金メダル」と目標を設定。2年時から五輪階級の53キロ級に上げたが、その後も身長が伸びて164センチに達した。減量幅は8~9キロほど。体重が増えないよう、年単位での厳しい節制が続いた。

 白米を控え、玄米や雑穀米に変えた。水はミネラルウォーター。肉は脂身を取り除いた赤身だけ。揚げ物やラーメン、スイーツも食べられない。「生クリームいっぱいのケーキが本当は大好きだけど、この世にないものと思い込んだ」。お酒も昨年に20歳の誕生日を家族で祝って以来、一度も口にしていない。

 どれだけ連勝を重ねても「自分が強くなりたい一心でレスリングをやっている」と、常に頭の中には「パリが浮かんでいた」。やっと、勝利に浸れる。藤波は金メダルを見つめ、幸せをかみしめた。(林 直史)

◆藤波 朱理(ふじなみ・あかり)

 ▽生まれとサイズ、家族 2003年11月11日、三重・四日市市。164センチ。家族は両親と兄

 ▽競技歴 父の影響で4歳からいなべレスリングクラブで始める。三重・いなべ総合学園高から日体大へ進学。全日本選手権は20年から3連覇。世界選手権は21年、23年優勝。23年杭州・アジア大会優勝

 ▽ルーチン 「ガチガチに作るタイプ」。試合前日は赤飯を食べ、熊の絵がプリントされた下着で臨む

 ▽勝負曲 サザンオールスターズの「東京VICTORY」。中学生の時に試合会場で流れていたのを聞き「試合モードに入る自分がいた」。今も試合前には必ず聴いている

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