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【甲子園】ロシア革命の1917年以来 大社107年ぶり夏2勝  「まだまだ負けていない」“積極思考”で16強

スポーツ報知 2024年8月16日 5時0分

◆第106回全国高校野球選手権大会第9日 ▽2回戦 大社5―4創成館=延長10回タイブレーク=(15日・甲子園)

 32年ぶり出場の大社(島根)が、初出場で4強入りした1917年の第3回大会以来、107年ぶりの夏2勝目を挙げた。2度のリードを許す展開となったが、8回に園山純正三塁手(3年)のスクイズで同点。延長10回タイブレークでは、敵失で勝ち越した直後に再び園山がスクイズを成功させた。投げてはエース・馬庭優太(3年)が、報徳学園(兵庫)戦に続いて6安打4失点で完投した。公立では石橋(栃木)と2校が16強に進出した。

 寝かせたバットで、ミラクルを巻き起こした。延長10回、敵失で初めて勝ち越し、なおも1死二、三塁。園山がこの日2度目となるスクイズを転がした。泥臭く勝利を引き寄せ「絶対に決める自信があった」と笑顔。1点ビハインドの8回1死二、三塁では、同点スクイズを決めた8番打者。どんな状況でも「まだまだ負けていない」と“積極思考”で勝利を呼び込んだ。

 夏2勝は初出場で4強入りした1917年以来、実に107年ぶり。ロシア革命が起きた年だ。鳴尾球場で第3回全国中等学校優勝野球大会が開催され、旧校名の杵築中として出場した。現校名では初、甲子園でも初の夏2勝。歴史的勝利の裏側には、強固な信頼関係があった。「この試合、どうするか」。石飛文太監督(42)はベンチで選手に問いかけた。返ってきたのは、「監督に任せます」の言葉。「お前らそこかよ、今だけそういうこと言うなよ」。苦笑いを浮かべつつも、「よし、任せろ」と腹をくくった。勝負どころでは再三、黒子に徹した園山は「監督さんがスクイズのサインを出すというのは、自分に『絶対、決めてくれよ』という意味」と、任務を確実に遂行。指揮官は、覚悟の采配に結果で応えた背番号5を「本当によくやってくれた。感動しました」と、涙ながらに称賛した。

 ヒット1本、アウト1つを重ねるたびに、一塁側アルプスは大きな盛り上がりを見せた。この日は吹奏楽部に加え、卒業生の有志が応援に参加。途中で雷が鳴っても演奏をやめず、試合開始からゲームセットまで聖地にごう音を響かせた。「自分たちだけの力ではなく、見えない何かが働いている。なんか声援の力って、ほんとすごいな」と石飛監督。遠く離れた島根からの来場に「この後、帰ったら日をまたぐと思う。それでも来てくださることに、感謝してもしきれない」と、再び目を赤くした。

 1回戦でV候補の報徳学園を破り、公立では石橋と大社の2校が16強入りした。32年ぶりの出場で奇跡的な快進撃に「OBの方々がこれまで築き上げてこられたものを礎に、今を戦っている。ここまできたら、あとは精いっぱい戦いたい」と指揮官。早実との3回戦で、同校初の夏3勝目を目指す。(南部 俊太)

 ◆1917年の世相 1914年に勃発した第一次世界大戦の戦時中。ロシア帝国で2度の革命(ロシア革命)が起き、後のソ連につながるソビエト政権が成立した。日本は寺内正毅内閣の大正6年。欧州への軍需品の輸出などが拡大し、大戦景気と呼ばれる好景気だった。衛生陶器メーカー「TOTO」や理化学研究所、北里柴三郎を学部長とする慶大医学部などが創立。東京高等師範学校が日本を代表するサッカーチームとして初めて、極東選手権大会で国際試合(0―5中華民国)を戦った。初期プロ野球の大エース・沢村栄治が誕生。大社が初出場した第3回は12校によって争われ、愛知一中(現旭丘)が優勝した。

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