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ジュビロ磐田で活躍 中村祐輝さんが中央静岡ヤクルト販売の社長に就任…「それぞれが役割を遂行すること」サッカーも会社も同じ

スポーツ報知 2024年8月29日 6時30分

 藤枝東高出身で、FWとしてジュビロ磐田などでプレーした中村祐輝さん(37)が、5月に中央静岡ヤクルト販売の4代目社長に就任した。17年に現役引退。家業を継ぐためヤクルト本社などで研修を重ね、約400人の従業員を束ねる立場で日々奮闘している。サッカーで学んだ経験を生かし、「地域で一番愛される会社」を目指していく。

 サックスブルーのユニホームからスーツに着替え、今はビジネスの“ピッチ”で勝負している。中央静岡ヤクルト販売で働くのは約60人の正社員、300人超のヤクルトレディら約400人。そのトップに立つ中村社長は「掲げている企業ビジョン通り、地域で一番愛される会社になっていきたい。また、この会社に所属して良かったと思えるような会社にしていきたい」と意気込みを口にした。

 1954年に曽祖父の貞一さんが会社を設立。以来、祖父、父と受け継がれてきた家業を守る。「ひいおじいちゃんから脈々と受け継がれてきたものを大切にしていく。とはいえ、外部環境も変化しているので合わせながら進めていく」。就任後、力を入れてきたのが社員研修だ。商品の価値をどう伝えるか、営業技術だけでなくチャットGPTや生成AIにも視野を広げている。「デジタル化はさらに進む。数年先はそれが当たり前になる。しっかり対応できる社員づくりを意識してます」と強調する。

 大事なことはサッカーで学んできた自負がある。「守備をする人、ボールをつなぐ人、点を取る人がいて、それぞれが役割を遂行することで最終的には勝ちにつながる。会社も同じ。管理部門がミスなく仕事することで、最前線のお客様に接するスタッフが気持ち良く仕事ができる」。幼少期は体が弱く、祖母に勧められる形で小学1年からプレー。清水ジュニアユースを経て、高校は名門の藤枝東に進んだ。1、2年時に全国高校選手権に出場。計3ゴールを決める活躍を見せた。

 磐田、浦和に練習参加したが「レベルが違いすぎた」と国士舘大進学を決意。大学卒業後は、小学生時代から遠征を繰り返して興味を持っていた海外に飛び出すことを決めた。「スーツケース一つでチャレンジした」。ルーマニア、チェコ、スロバキア。日本ではなじみのない国を渡り歩いた。通訳はなし。ルーマニア語、チェコ語も必死に覚えた。10時間以上のバス移動もあった。「24時間乗っている時もあった。言葉も満足に通じないけど、自分一人だし落ち込んでいる時間もない。精神面含めタフさは鍛えられました」と振り返った。

 13年途中に岐阜入りし、15年から2年間は磐田に所属。「32歳くらいまで現役をやって、その後は(家業に)戻ることをイメージしていた」。17年の引退後は約3年間、ヤクルト本社に出向し関西の支店などで営業や物流について学んだ。

 現在もサッカーとの縁は続いており、会社は清水と連携して親子運動教室を定期的に開催している。「エスパルスも地域に根ざしている。うちも商圏の中でいかにファンを増やしていくか」。毎回好評で20組の定員を今後増やしていく計画もあるという。古巣の動向も気になるようで「今はエスパルスが身近ですが、ジュビロにもJ1に残留してほしい。やっぱり静岡のチームがJ1にいてくれないと盛り上がらない」。地域と共に歩みながら第二の人生でも“ゴール”を重ねていく。(武藤 瑞基)

 ◆中村 祐輝(なかむら・ゆうき)1987年6月4日、静岡市生まれ。37歳。小学1年からサッカーを始め、清水ジュニアユースを経て藤枝東へ。同高では1、2年時に全国高校選手権に出場。国士舘大を卒業後は海外クラブを渡り、13年7月に当時J2の岐阜入団。15年、磐田に移籍し、2年間プレーして現役引退。J2通算25試合2得点。現役時は183センチ、80キロ。家族は妻と1女。

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