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王貞治さん「巨人軍のエースとしての振る舞いを」たった一度だけ後輩を涙のゴツン 200勝の大投手に成長

スポーツ報知 2024年9月3日 5時20分

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の最終回を飾るのは、世界のホームラン王・王貞治さん(84)=現ソフトバンク球団会長=だ。長嶋茂雄さんとの「ONコンビ」で栄光のV9。47年前の1977年9月3日には、ハンク・アーロンを抜く世界新記録756号を放ち、日本中を熱狂の渦に巻きこんだ。メモリアルデーを前に、野球人生の喜怒哀楽を語った。(取材・構成=太田 倫、取材協力=報知新聞社OB・田中 茂光)

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 たった一度だけ、後輩をゴツン、とやったことがある。相手は堀内恒夫だった。遠征先の名古屋の宿でのことだった【注】。夜11時の門限間近になっても堀内が帰ってこないという。僕は最初は部屋にいたんだけど、みんなが徐々に騒ぎ出したんだ。

 堀内は1年目からすごい投手だった。ボールに力があって、いきなり大活躍したよね。ジャイアンツのエースを張るっていうのは大変なんだよ。相手の打者も投手も、何とかして巨人を倒そうと向かってくるわけだから。

 その彼も3年目で、中心選手として地位を確立しつつあった。ただ、まだ若くて奔放なところがあってね。結局、その晩は門限ギリギリに帰ってはきたけど、悪いことをしたとは思っていないように見えた。帰ってきたと思ったら帳場に戻って、大声で電話なんかし始めて…。だからちょっと、カツを入れたんだね。

 まさか長嶋さんにそんな役回りをさせるわけにはいかない。柴田勲も僕より年下だし、森昌彦さんもそういうことをするタイプではない。となると、自分がやるしかない、と意を決した。

 僕が涙を流していたって? そうだったんだろうね…。やっぱり先輩としては、彼には巨人軍のエースとして、きちっとした振る舞いをしてほしいという願いは持っていたから。

 堀内もその後、長い間現役で頑張ってくれた。200勝して、立派なエースになった。僕の「ゴツン」も、その一助にはなったんじゃないかな。

 【注】1968年6月。巨人は8日の広島戦から16日の産経戦まで7連敗するなどチーム状態が悪く、18日から20日の名古屋遠征中にミーティングで出直しの意思統一を図った直後であったという。

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