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「僕も人の子だった。本当に悔しい」王貞治さん、756号を打ったすぐ後に「戻れるものなら、戻りたいものだね」

スポーツ報知 2024年9月3日 5時30分

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の最終回を飾るのは、世界のホームラン王・王貞治さん(84)=現ソフトバンク球団会長=だ。長嶋茂雄さんとの「ONコンビ」で栄光のV9。47年前の1977年9月3日には、ハンク・アーロンを抜く世界新記録756号を放ち、日本中を熱狂の渦に巻きこんだ。メモリアルデーを前に、野球人生の喜怒哀楽を語った。(取材・構成=太田 倫、取材協力=報知新聞社OB・田中 茂光)

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 756号を打ったとき、本音を言うと「やれやれ」だった。これで周囲が少しおとなしくなってくれる。そんな解放感があった。

 記録がかかり、球場で僕を追うカメラのレンズが普段よりもずっと多い。自宅にもファンが行列をつくっていて、毎日子供たちに1時間くらいサインをしてから球場へ向かっていた。今とは違って、球団の誰かがうまくコントロールしてくれるという時代ではなかった。

 ただ、756号の後の自分には悔いがある。僕が超えるべき数字はハンク・アーロンの「755」だった。それを超えてしまうと、次に目指す数字が出てこない。達成感もあって、少しずつ集中力や執着のようなものが薄れてきた。チャレンジしていたときと同じ心理ではいられなくなった。前人未到と言われる領域を経験した人なら、誰もが感じるものじゃないかと思う。やっぱり人間だからね。

 落ち着くと思ったら、周りは一段と騒がしくなった。取材も殺到し、私生活でのお誘いも増えた。国民栄誉賞もいただいた。僕は野球一筋で、それ以外のことに神経は使わないできたけれど、それまで受け入れなかったことも、受け入れるようになってしまったんだね。

 80年に、40歳で引退した。本当は43歳まではやるつもりだった。その年も、7月までは辞めるという考えは一切なかったが、ひとつには78年から3年続けて優勝を逃したチーム状況があった。自分が先頭を切って走れる成績を出せればよかったのだが、77年に50本打った後は、39、33、30本と年々ホームランの数も減ってきていた。

 視力の問題もあった。動体視力の方だね。例えば、けん制球だ。それまでは走者と話しながらでも楽にボールを処理できたものが、引退する1、2年前から、集中していないと後ろにそらしそうな感覚が出てきた。打つ方でも、夏場のある試合で、相手投手の球が速く感じた。そしたら若手が「いや、いつも通りですよ」と言うんだ。これは自分のスピード感が変わってきたかな、と思った。

 限界か、という考えが浮かび出しては打ち消して、また試合に出ると球が速く感じる。その葛藤を繰り返すうちに、バットを置く気持ちが固まっていった。シーズンが終わって正式に引退すると決めたが、同じタイミングで長嶋監督が辞任することになった。長嶋さんが辞任会見したのは、実は、僕が引退を発表するために押さえていた場所だった【注】。

 今でも、756号を打つ前と同じように選手生活を送っていれば、2年、3年ともっとホームランをたくさん打てたかもしれない、という思いはある。僕も人の子だったというか、人がよかったというのかな。自分自身がそんなふうになってしまったのは、本当に悔しい。戻れるものなら、756号のすぐ後に戻りたいものだね。

 【注】80年10月21日、長嶋監督は読売新聞社内の会議室で「男としてケジメをつけたい」と辞任表明。王さんは11月4日に都内のホテルで正式に引退を発表。

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