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「もし結婚していなければ、女優をやめていた」吉永小百合を支え続けた夫・岡田太郎氏さん死去

スポーツ報知 2024年9月14日 5時0分

 女優・吉永小百合(79)の夫で、元共同テレビジョン会長・岡田太郎(おかだ・たろう)さんが3日午前1時15分、胆のうがんのため都内の病院で死去したと東映とフジテレビが、13日発表した。94歳だった。8日に吉永が喪主を務めて家族葬を済ませた。吉永の両親の反対を押し切り、1973年8月に結婚。現在、吉永は新作映画の撮影中だが、約半世紀連れ添った夫を看取(みと)ることができたことを報告。「大往生だと思います」とコメントした。

 撮影中の新作映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督)で、がんとも闘う登山家・田部井淳子さんを演じている吉永が、「結婚していなければ女優をやめていた」と話すほど最愛の人だった岡田さんと最期の別れをしていた。

 岡田さんが旅立った3日について吉永は「地方での仕事を終え 病院に駆けつけ 傍(そば)に寄り添って看取ることができました」とコメント。現場では悟られまいとひた隠しにし、悲しみをおくびにも出さず撮影に臨んでいたという。吉永が喪主を務めた家族葬の8日も、当初から予定通りの撮休日だった。

 現場が訃報(ふほう)を知ったのは、発表と同じ13日。当然衝撃が走ったが、スタッフや関係者らには吉永の「全て終えていること。特別扱いは不要」との意向が伝えられたという。

 28歳だった吉永の積極アプローチが実って岡田さんと結婚したのは73年。当時は「1週間に8日働くような」忙しさで、積もりに積もったストレスは女優の生命線の「声」を奪う。「声を出しているつもりでもスースー音が抜ける」という声帯の病気に襲われた。ドラマの仕事に追われ「見てくださる人に失礼」と降板も頭をよぎった。

 この時大きな支えになったのが、19歳の時から交流のあった岡田さんだった。吉永は当時について、本紙の取材で「彼は『休めないのなら、今できることを一生懸命にやれば、それは見てくれる人がきっと分かってくれるよ』と言ってくれた。あの時の私にとって、どれほどありがたい言葉だったか分かりません」と岡田さんの包容力にひかれたと振り返っている。

 吉永の両親の激しい反対を乗り越えての結婚。73年8月3日の結婚式出席者は元フジテレビの千秋与四夫氏、その妻で歌手の畠山みどりら5人だけで、女優の奈良岡朋子さんが吉永側の立会人を務めた。同日午後に都内のホテルで披露宴を行った。

 世間も15歳年上で離婚歴のある男性とのゴールインはショッキングな出来事として受け止めた。「結婚には、いろんな形があると思う。一緒になって束縛されるものもあれば、私みたいに精神的な自由を得るためにする人も。もし結婚していなければ、完全に行き詰まってこの仕事をやめていた。私は結婚して、本当の新しい第一歩を始めることができた。本当に幸運だった」と心から感謝していた。

 子どもを持たなかったのも、夫婦で話し合って決めたこと。晩年の岡田さんは特にワインを好み、吉永のために朝食を作ることも多かった。吉永の「大往生だと思います」という言葉に偽りはない。

 〇…岡田さんは、吉永とともに20年以上の親交があったクラシックギタリスト・村治佳織(46)が19年に出版したエッセー「いつのまにか、ギターと」(主婦と生活社刊)で対談。夫妻とパリ旅行をするなど、ふたりをよく知る村治が「絵に描いたようなすてきなご夫婦」と語ると、岡田さんは夫婦仲について「奥さんの仕事現場って、どうもね、恥ずかしくってほとんど行かないんですよね」と照れくさそうに明かしていた。

 ◆岡田 太郎(おかだ・たろう)1930年7月20日、東京都出身。総理府、文化放送を経て58年にフジテレビに入社。芸能部に勤務。ドラマ「陽のあたる坂道」「日日の背信」などを制作。68年に編成部となり、73年に吉永小百合と結婚。85年、共同テレビの取締役となり95年に社長、99年に会長に就任。2003年に退任。

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