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「わたし祈ってます」「よせばいいのに」大ヒット「敏いとうとハッピー&ブルー」リーダー・敏いとうさん死去

スポーツ報知 2024年9月15日 6時0分

 「わたし祈ってます」などのヒット曲で知られる歌謡グループ「敏いとうとハッピー&ブルー」のリーダー・敏いとう(とし・いとう、本名・伊藤敏=いとう・さとし)さんが、前立腺がんのため10日に亡くなっていたことが14日までに分かった。84歳。葬儀・告別式は親族で営まれる。関係者によると、近年は脳梗塞(こうそく)やがんなど闘病生活が続いていた。

 伊藤さんは、14年2月に心筋梗塞で入院し心臓のバイパス手術を受けるも、17年4月には横浜市内で「喜寿を祝う会」を開催し力強いコーラスを見せていた。だが関係者によると、最近では病魔との闘いで露出が減っていた。

 獣医師という異色の経歴を持ち、作曲家・遠藤実さん(享年76)のペットを診察したのをきっかけに、芸能界入り。1971年に「―ハッピー&ブルー」を結成し、男らしいルックスとは裏腹に、切ない女心を歌った。「星降る街角」(72年)、「わたし祈ってます」(74年)、「よせばいいのに」(79年)など大ヒットを連発。「ムード歌謡の帝王」と呼ばれた。

 91年に一時休業するが、96年に再結成。08年に、元メンバー・竹下幸介が性転換し「キャサリン」として再加入して話題となった。21年には「敏いとうとハッピー&ブルー」の継承グループ「新☆(SHINSEI)敏いとうとハッピー&ブルー」の最高顧問に就任した。

 歌手デビュー前から政治家への憧れを持っており、政界も志した。同じ熊本県出身で、労相、農水相、防衛庁長官を歴任した・松野頼三氏(享年89)と親交があり、その縁で政治への関心は高かったという。芸能活動を経て、10年に国民新党から参院選に比例代表候補で出馬し、落選していた。

 ◆敏いとう(とし・いとう)本名・伊藤敏。1940年1月3日、熊本県出身。青学大経済学部、日大獣医学部卒。1969年に「敏いとうとブルー・キャンドル」名義で日本コロムビアから発売した「誘惑」でレコードデビュー。71年に「敏いとうとハッピー&ブルー」を結成しリーダーに。2012年に「星降る街角2012」を再リリースしていた。

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