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河村勇輝、門限過ぎに寮を抜け出し「体育館開けてください」 福岡第一高バスケ部の恩師が素顔語る

スポーツ報知 2024年10月27日 6時5分

◆NBA グリズリーズ108―128ロケッツ(25日、テキサス州ヒューストン=トヨタセンター)

 グリズリーズの河村勇輝(23)が、敵地ヒューストンでのロケッツ戦に途中出場。田臥勇太、渡辺雄太、八村塁に続き日本人4人目のNBAデビューを果たした。米留学経験はなく、Bリーグ出身では初の快挙で、日本バスケ界に新たな歴史を刻んだ。

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 河村は中学時代、地元では名の知れた存在も、全国ではほぼ無名だった。だが、そんな小さな少年に、全国制覇9度を誇る福岡第一の井手口孝監督は声を掛けた。河村からとてつもなく光るものを感じた。ボールを失わない技術、リーダーシップ、そしてスピード。いずれも司令塔に重要な要素だ。「練習に来る度に『いいな』『いいな』と思った」。驚くことに、他の強豪校から誘いはなかった。

 センスはもちろん、その努力はとてつもないものだった。全体練習終了後、河村は夜9時の門限を過ぎてから一人、こっそり寮を抜け出し「体育館開けてください」と寮に住む先生に懇願。自らに課した「一日シュート600本成功」を達成するため、黙々とシューティングした。「努力を努力と思ってない」と井手口監督。寮生活でも部屋ではテレビ番組ではなく、NBAを見ていた。

 幼い時の夢は両親と同じ教師になることだったが、U16の日本代表に招集され、夢は「プロ選手」に変わった。当時は、思い上がってしまい、反抗的な態度を取ったことも。井手口監督は「お前のチームは東京(日本代表)だから帰れ。チケットやるから帰れ」と一喝。河村はチームのために自分がいることを再確認した。

 中学時代の成績は「オール5」。高校も成績優秀な生徒のクラスにいた。まさに文武両道。そして時には一発芸をするムードメーカーの一面も見せた。自らの練習後には、横コートで練習するセカンドチームにも気を配り、給水ボトルを準備するなど、高校時代からとにかく周りを見て行動できる選手だった。「なかなかもう、ああいう選手と出会うことはないかもしれない」と井手口監督は言う。

 部員100人近い強豪で、1年生から先発出場。2、3年ではウィンターカップ連覇など4度の日本一に輝いた。19年天皇杯では4連覇を目指すB1の千葉Jに敗れたものの、個人は21得点10アシストと驚異的なパフォーマンス。河村の名は、高校界にとどまらず、バスケ界に知れ渡った。そして20年1月、三遠で当時最年少の18歳8か月23日でBリーグデビュー。そこからわずか4年9か月、今度は世界最高峰の舞台にいる。(小林 玲花)

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